先日、後輩と飲んでいる時に、その後輩が、おすかわパイセンは何のために働いているんですか?と聞いてきた。
私は、自分の頭と体を整えるためでごわす、と答えたのだけれど、彼女はピンと来ていなかった。まぁそれは別にかめへん。
んじゃあ、Aさんは何のために働いているの?と聞くと、お金を稼いで欲しい物を買うためです、とのことだった。
それはそれでいいと思う。
そして彼女は、でもそれだといずれは働く理由がなくなってしまうというのもわかっているんです、ということだった。
そこまでわかっているんだったらすげぇさかい、となぜか私はエセ関西弁で応答してしまった。
彼女の話を聞いていくと、彼女は自分のやっている仕事と友人がやっている仕事を比べてしまう。そして、友人は責任のある仕事、有意義な仕事をやっているように思えて、自分は誰もができるような仕事、自分ではなくてもできる仕事、大したことないような仕事しかしていないように思えて、ある種の劣等感を感じているようだった。
自分にしかできない仕事がしたい、換えのきかない仕事がしたい、誰も真似のできないような仕事がしたい。そのような稀少性を求める思考パッターンは痛いほどわかるのだけれど、諸行無常の理によって支配されているこの広大無辺な世界において、自分にしかできない仕事で、それがなかったら決定的に困るという仕事は実際的にはない。
今日に至るまで無数の偉大な人々が諸行無常の理によって雲散霧消していったが、だからといって誰も決定的に困っているわけではなく、後任の人が現れたり、代わりの人が現れたりして、世界は楽勝でどうにかなっている(だからといって過去の偉人たちの偉業を否定したり、軽視したりする意図はまったくない)。
そもそもその後輩は(まぁ、後輩だけではなく私たちの多くは)どうしてそのように稀少な存在になろうと思うのだろうか。
それは私たちが根本的に寂しさを抱えているからだ。
自分が何らかの価値(誰も真似のできない仕事、稀少性)を手に入れれば、自分は価値のある人間になれると思っている。そうなれば他人が自ずと近づいてきて、自分を大事にしてくれると思っている。そうすれば自分の根本的な寂しさは解消できると思っている。
んじゃあ、どうして自分は価値のある人間になれば大事にされると思うのかというと、自分自身が自分が価値のある人とみなした人しか見ようとせず、大事にしようとしないからで、自分が価値のない人だとみなした人については一切の関心を払わず、どうなってもいいと思っているからだ。関心を払わないどころか、バカにしたり、見下したり、侮ったりするからだ。
価値がないとみなした人に対して自分自身が冷たいからこそ、自分が価値のない人間と思われると、その分人から冷たい思いをぶつけられるような気がして怖くなってしまう。
その恐怖から、価値のない人間と人から思われないように強迫的に稀少性という価値を渇望してしまうのだけれど、その恐怖は実は他人が作り出しているものではなく、自分が普段から他人に対して発している思いから作り出されている。
人が自分に対してどのような思いを起こしているかというのは絶対に確認できないからな(にもかかわらず、私たちは、人はこう思っているに違いないと思い込んで、苦しみ、恐怖する。それは自分が相手の立場だったら自分は自分に対してそう思うだけのことで、結局、自分の思いで自分が苦しんでいるだけのことなのだけれど、このことが私たちにはどうしてもわからない)。
話を整理すると、その後輩は寂しいから稀少性を求め、自分の稀少性のなさに落胆し悩んでいる。
どのような仕事においても「換えのきかない仕事」というものはなく、それを求めることは不毛なのだけれど、だがしかし、その後輩にはその後輩にしかできないことがある。
それは自分自身を大事にするということだ。
私はその後輩のことを大事に思っているが(別に恋愛感情とかではない)、どんなに私が彼女のことを大事に思っていたとしても、私は彼女の歯を磨いてあげることはできない。彼女の代わりに早寝早起きをしてあげることはできない。彼女のために筋トレやジョギングをしてあげることはできない。彼女のために充分な睡眠をとってあげることはできない。彼女のために自己否定をやめることはできない。彼女のために飲酒を控えることはできない。彼女のために散財を控えることはできない。
私がどんなに彼女のことを肯定しても、彼女が自己否定を続ける限り、彼女の苦しみは消えない。私がどんなに彼女の身を案じても、彼女がリストカットをしてしまうと彼女の体は傷ついていく。(彼女は別にリストカットはしていない。あくまでも例だ)
まぁこんな感じのニュアンス的な雰囲気で、要するに、彼女を直接的に大事にできるのはこの世に彼女自身しかいないということだ。彼女がやらなければガチのムチで誰もできない。彼女を直接的に大事にできるのは、神にも仏にも接待にできない。両親にも兄弟にも友人にも会社の同僚にも絶対にできない。代わりはガチのムチでいない。
その後輩には上記のようなことを伝えたかったのだけれど、私は焼酎を飲んで、酔っ払ってしまい、他の客が歌いはじめたレミオロメンの歌に私も便乗してしまい、どうにもならなくなった。
声出して切り替えていこう思う。