おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

パートナーを選ぶ基準

 人生のパートナーをまだ選んでいない人は、よくおぼえておいてほしい。パートナーが幸せになるかどうかによって、あなたの幸せの度合いは決まってくる。愛する人を幸せにしたいと思うのは当然だろうが、自分の幸せのためにも、相手に幸せになってもらう必要がある。ただ、相手が初めから幸せであれば、あるいは先に紹介したような幸福になる習慣を身につけていれば、ことは簡単だ。

 不幸せな人をパートナーに選べば、あなたが不幸になる可能性が高い。どんなに愛し合っていても、自尊心のない人、希望を失った人といっしょに暮らすのは悪夢である。自分がありあまるほど幸せであれば、不幸な人を幸せにすることもできるかもしれないが、それには大変な努力が必要だ。少しばかり不幸な二人が出会い、恋におち、幸せになろうと決心し、幸福になる習慣を身につけていけば、二人とも幸せになれるだろう。しかし、わたしなら、そうした二人にかける気はしない。不幸な二人はたとえ愛し合っていても、必ず傷つけ合うようになる。幸せな人と恋に落ちる――それが幸福への早道だ。

リチャード・コッチ『人生を変える80対20の法則』

 

幸福な人とというのは大事にする習慣を身に付けている人のことで、不幸な人というのは粗末にする習慣を身に付けている人と定義してもいいだろう。

 

大事にする習慣を身に付けている人は、自分は自分にとって大事な存在ということに気がついていて、それ故に自分の体や心や持ち物や身近な人を大事にする行動を習慣的に行うため、その結果、幸福な状態になっている。

 

粗末にする習慣を身に付けている人は、自分は自分にとって大事な存在ということに気がついておらず、それ故に自分の体や心や持ち物や身近な人を粗末にする行動を習慣的に行うため、その結果、不幸な状態になっている。

 

大事にする習慣を身に付けていると、大事にする習慣を身に付けている人と身に付けていない人を見分けられるようになってきて、大事にする習慣を身に付けた人をパートナーとして選びやすくなり、お互いに大事にし合える良好な人間関係を築きやすくなる。

 

一方で、粗末にする習慣しか身に付けていないと(私たちは多くの場合、デフォルトでは粗末にする習慣しか身に付いていない)、幸福な人と不幸な人を見分けることができず、多くの場合、不幸な人をパートナーとして選んでしまい、その結果、お互いに粗末にし合い、その関係は苦しいものでしかなくなり、世間的を気にして無理矢理維持し続けるか、我慢の限界にきて、別れたり、離婚したり、あるいはひどい時には相手を抹殺したりする。

 

そして、類は友を呼ぶではないけれど、仏教にも「共業」という言葉があるように、似たような習慣を持っている人が引き寄せられていき、そうして引き寄せられた者同士間で、大事にし合うなり、粗末にし合うなりして、人間関係の幸不幸が生じてくる。

 

よって、不幸な二人は愛し合っていても(実際は愛し合っているわけではなく、個々人の粗末にする習慣によって生まれる不安や恐怖を一時的に誤魔化し合っているにすぎない)、互いの粗末にする習慣によって、必ず傷つけ合うようになる。

 

もしも自分自身が大事にする習慣を身につけておらず、粗末にする習慣しか身につけておらず、かつパートナーも大事にする習慣を身につけておらず、粗末にする習慣しか身につけていない場合は、可能であればその人間関係を解消し、まずは自分が大事にする習慣を身につけることに集中したほうがいいのかもしれない。

 

陰毛が生え揃った自称大人の場合、全ては自分の小さな選択の問題、そしてそれらが積み重なり自動化した習慣の問題でしかないからな。

 

日々、何かを粗末にするための選択しかしていないのであれば、当然身近な人を粗末にすることが本人にとって自然な選択になっていき、それを繰り返していくと、そらぁ人間関係は崩れていくだろう。

 

世の中には、何人の異性と関係を持った、何回結婚し何回離婚したということをあたかも自分のステータスかのようにのたまう人がいるが、それは「私は人を大事にする習慣が全然身に付いていないぽよ」、「私は粗末にする習慣しか身に付いておらず、不幸な状態にあるぽよ」「私は人を粗末にして苦しみに満ちた不幸な関係しか築けないぽよ」と言っているようなものなのかもしれない。

 

まぁ、とにかく、自分が大事にする習慣を身に付け、大事にする習慣が身に付いている人をパートナーとしたほうがはるかに簡単に幸福になりやすい、というのは間違いないだろう。

 

声出して切り替えていこう。