おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

ホストに貢ぐ女性の動画を見て浮かんだ雑念

先日、惰性でYouTubeを見ていると、気がつくとホストに貢ぐ女性についての動画を視聴していた。

 

ホストにハマってしまった女性は一晩で300万円ものシャンパンタワーを注文したり、クレジットカードを何枚も作り、総額約2500万円ものお金をお気に入りのホストに貢いでしまったという。

 

しかも、そのような破滅的なお金の使い方をしているのは、自称セレブみたいな感じのニュアン的な雰囲気の人ではなく、一般のその辺にいるような普通の女性で、それ故に当然多額の借金を背負うことになり、その借金を返すために、身体を売る羽目になるという。

 

身体を売るのかどうかはその人の自由なので、職業をもってして差別する気は一切ないのだけれど、多額の借金のために一切の選択肢がない状態に陥り、身体を売るしかなくなるというのはやはり可哀想だと思うし、本人も楽しくないだろうし、苦しいだけなのではないかしらん、と思ってしまう。

 

ホストにハマっている女性は、どのような世界にいるのかしらん?

 

彼女たちは強い寂しさを感じている。

 

そして誰かにチヤホヤされたいと思っている。

誰かに「価値のある人間」だと見なしてもらい、チヤホヤされたいと思っている。

 

そして幸か不幸か、ホストクラブという場所は、お金という価値を持っていればチヤホヤしてくれる場所でもある。

逆に言うと、ホストクラブという場所は、お金を持っていない人のことは相手にしない。

 

つまり、彼女たちは大金を持っていればチヤホヤされる、大金を持っていなければ見捨てられる世界の中に生きている。

 

彼女たちは見捨てられたくないので、お金に飢えている。

お金以上に、愛情に飢えている、つまり愛欲を満たすことに必死になっている。

 

(ホストに貢ぐために、わざわざ地方から身体を売りに東京までやってくる人もいるくらい必死だ)

 

そして、お金があれば、その分だけ人が自分のことをチヤホヤしてくれて、愛欲が満たされると思っている。

 

お金がある分だけ自分は価値のある人間になり、価値のある人間になった分だけ人は自分のことをチヤホヤにしてくれると思っている。

 

一方で女性のことをただの金づるだとしか思っていないホストはどのような世界に生きているかしらん?

 

彼らもまた強い寂しさを感じている。

 

そして誰かにもてはやされたいと思っている。

誰かに「価値のある人間」だとみなしてもらい、人から近づいてきてもらい、もてはやされたいと思っている。

 

価値のある人間にならなければ、人は自分から離れていく、大事にしてもらえないという強迫的な世界の中にいる。

 

No1になる、大金を稼ぐ、豪華な暮らしをする、そのような価値を手に入れれば手に入れた分だけ、自分は価値のある人間になり、価値のある人間になった分だけ人は自分のことをもてはやしてくれると思っている。

 

ホストにはまる女性もホストどちらもお金という価値を手に入れ、自分の価値を示したいと思っている。

 

私はこんなに価値のある人間なんだということを証明し、誰かにチヤホヤされることで、価値のある人間として自分を確認しようとネバギバの精神で頑張っている。

 

両者は貢ぐ者と貢がれる者で正反対の世界にいるように見えるけれど、発想としては実は同じような世界の中にいる。

 

んじゃあ、私は彼らとは違うぽよ、と自認している私たちはどうなのか?

 

自分の価値を示せば無条件で人から大事にされると発想し、自分の価値を象徴してくれるものをかき集めるために必死に頑張っているという点では、ホストに貢ぐ女性と同じなのではないかしらん。

 

彼女たちは大金を出して特定のホストに認められるために頑張っている。

 

大金を通じて自分の価値を示し、誰かに認めてもらい、誰かにちやほやしてもらいたいと思っている。

 

何らかの結果、実績、正しさ、地位、名誉、資格、能力、知性、財産、美貌、善良さ、潔白さ、努力、賢さ、常識、肉体といった世間的な価値を通じて自分の価値を示し、誰かに認めてもらい、誰かにちやほやしてもらたいと思っている。

 

どのような種類の世間的な価値に執着し、どのような種類の世間的な価値を通じて「価値のある自分」というものを他人にアッピールしようとしてるのかは一人ひとり異なるかもしれないが、寂しさ故に世間的な価値を渇望し、世間的に価値のあるものを手に入れれば自分が抱えている寂しさは解消されると発想し、ネバギバの精神で世間的な価値をかき集めることに必死になっているという点では、ホストに貢ぐ女性も、女性を搾取するホストも、善良で清廉潔白だと自認している私たちも大差はない。

 

そんな私たちが、ホストにハマってしまう女性や、女性を搾取するホストを否定するということは、自分を否定するということで、その自己否定が苦しみを生む。

 

他人を通じて見えるものは自分の姿でしかないからな。

 

自分が執着しているもの。

かき集めようとしているもの。

握りしめようとしているもの。

 

それをかき集めて、握りしめて、どのような自分というイッメージを作り上げて、どのような自分というものを他人にアッピールしようとしているのか。

 

そのイッメージをアッピールすることで、果たしてただそれだけで本当に人から大事にされるのか。

 

声出して切り替えていこうと思う。