おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧

殺生なナルシシズム

不必要な、明らかに非道徳的な殺しにつながる明白な要因がひとつある。ナルシシズムがそれである。ここでもまたナルシシズムが問題となる。われわれのナルシシズムの現れのひとつとして、自分に似たものよりも自分とは違ったものを殺そうとする強い傾向があ…

自称大人の節分

もうすぐ節分、節分と言ったら鬼だ。 部屋中に豆を撒き散らし、恵方巻を食い散らかすのも一興なのだけれど、自称大人であれば鬼との対話を試みて欲しいと思う。 鬼というのは醜いものと思われているのだけれど、鬼というのは罪人を苦しめる存在、悪いものを…

余分なもの、よけいなふるまい

つまさきで背のびをして立つものは、長くは立てない、大股で足をひろげて歩くものは、遠くまでは行けない。自分で自分の才能を見せびらかそうとするものは、かえってその才能が認められず、自分で自分の行動を正しいとするものは、かえってその正しさがあら…

怒りと理想像

自分自身を自分自身たらしめているものが、ものの考え方である。もし誰かが私のものの考え方に批判を加えるならば、私はそれを、私自身にたいする批判と考えるはずである。私の意見が間違っていることがわかれば、私自身が間違っていたことになる。私の抱い…

日々のいざこざの元凶

白紙の世界を自分が塗りたいように塗っている事実において、その他人もまた自分が創造した他人であるので、 あの人があのような考えを持つのは、どのような理想を持っているからなのか そして、その理想はあの人が世界をどう見ているからなのか それは自分の…

自称善人の私の邪悪性

強度のナルシシズムにとらわれた(つまり邪悪な)人間は、自己の完全なイメージをおびやかす相手にたいしては、だれかれおかまいなしに攻撃をしかける。 M・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち』 私たちは自分が気に食わない人を悪とみなし、程度の差…

自分の中に住んでいる

その人その人の個人的な経験から、生まれ落ちた国や地域の時代としての歴史も含め、ありとあらゆる要因が連鎖し、重層化し、密接に相関しながら、その人の考えが形成されている事はあまりに自明のことです。 宮野公樹『問いの立て方』 人は、物事をあるがま…

失敗した時に実際の自分が見える

邪悪な個人は、自分の欠陥に光を当てるすべての物あるいはすべての人間を非難し、抹殺しようとすることによって内省や罪の意識を逃れようとする。同様に集団の場合にも、当然、これと同じ悪性のナルシシズムに支配された行動が生じる。 失敗はわれわれの誇り…

自称成人にならないために

私たちは、いま生きて目覚めてこの世界の中に住んでいると考えています。しかし、ほんとうに目覚めているのでしょうか。自分が見、聞き、考えるとおりにものごとは存在するのでしょうか。 横山紘一『唯識の思想』 自分の見方でしか世界が見られないとのだと…

平気で人を否定する人たち

あまり感心しないことであるが、現実に広く見られる集団ナルシシズムのかたちが、「敵をつくる」こと、すなわち「外集団」にたいして憎しみをいだくことである。これは、初めて集団を組むことを学んだ子どもたちにも自然に発生するものである。その集団に所…

「徳」というのは「大事にする習慣」のことなのかもしれない

徳は得と同じで、わが身に得られて身についたもの。能力であり、そのあらわれとしての恩恵。効果の意味になる。 金谷治『老子』 古代の哲学や思想にはよく「徳が大事どす」というような文言が出てきて、その徳というのは一体何なのかしらん、具体的にどうい…

日常の種類

今日で8連休だった正月休みが終わる。 年末は友人が遊びに来て、非日常的な過ごし方をしたのだけれど、それ以外は至っていつもの休日だった。 基本的に自分を大事にするための家事、運動、読書、執筆、瞑想の日々なのだけれど、すごく良い。 (人は基本的に…

2025年の心がけ

暦というのは人間が自分たちの都合の良いように作った便利グッズのようなもので、概念上の区切り、共同幻想なのだけれど、それは便利グッズであるが故にやっぱり便利だ。 (私の亡き愛犬に、今日から新年ぜよ!と喚いてもポカンとしていた一方で、散歩に行く…

新年早々から社会が敵に見えている人

自分についてだけではなく、眼の前にいる「他人」というものについても同様に、なにひとつ知っていないということが事実です。あの人は〇〇さんであり、性格はこのような人で、私は嫌いだ、などと「その人」を知っているように思っていますが、はたしてそう…

今年の自分の運命予想

知恵さかしらは欲望と深く結びついている。欲をとげるためのさかしらは、そのまま大きな虚偽の始まりである。 金谷治『老子』 うそというものは混乱を引き起こすものである。邪悪な人間というのは、他人をだましながら自己欺まんの層を積み重ねていく「虚偽…

今年も繰り返すこと

ストレスとは善の試金石ともいうべきものである。真の意味で善良な人間とは、ストレス下にあっても自分の高潔さ、成熟性、感受性、思いやりを捨て去ることのない人のことである。高潔さとは、状況の悪化に反応して退行することなく、苦痛に直面して感覚を鈍…