2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧
人びとは眼前のことにとらわれて、他人をおしのけて先へ先へと急ぐ。何を求めて争うのか、何を進歩と考えているのか。その求めているものが、本当に求めるだけの価値があるのか。進歩と考えているものが、本当に進歩であって人びとの幸福に連なるものなのか…
人びとはその時その時の現象をつかまえて、かってな判断をしているだけである。 「わかる」は「分かる」であり、分けて切り取ったものである。そうした認識は自然のあるがままの実相から遠いといわなければならないが、それにもかかわらず人びとはそれを絶対…
さかしらの知恵と欲望に責めたてられて、外に向かって駆け出すところに、人間の不幸が生まれるのだ。己れ自身をふりかえって、己の持ち物を吟味するなら、すでにそこにじゅうぶん満足すべきもののあることが、発見できるであろう。 金谷治『老子』 この「さ…
威勢による厳罰よりも、人民が安住して人生を楽しんでゆけるようにするのが、為政者の務めである。 自分の食べ物をうまいと思い、自分の着物を立派だと思い、自分の住まいに落ち着いて、自分の習慣を楽しむようにさせたなら、隣の国は向こうに見えていて、そ…
最近購入した整えアイテムは以下のとおり。 1|玄米 白米というのは玄米から色々ものを削ぎ落としたもので、つまりそれは玄米の方が栄養豊富ということになる。 特に白米にこだわりのない私のとって、だったら玄米のほうが良かろうもん、ということで私の主…
そもそも死刑をつかさどるものに代わって、かってな判断で殺したりするのは、これは大工の名人に代わって木を削ることだ。いったい、大工の名人に代わって木を削ったりすると、自分の手を傷つけないですむことはまずないであろう。 金谷治『老子』 この世の…
自分でよくわかっていても、まだじゅうぶんにはわかっていないと考えるのが、最も良いことである。わかっていないくせに、よくわかっていると考えているのが、人としての短所である。(そもそも、自分の短所を短所として自覚するからこそ、短所もなくなるのだ…
安定しているうちはそれを維持しやすい。 兆しのあらわれないうちはそれを処置しやすい。 もろいうちはそれを溶かしやすい。 かすかなうちはそれを消しやすい。 だから、まだなんでもないあいだに問題を処理し、まだ混乱にならないうちに事態を秩序づけてお…
何もしないことをわがふるまいとし、かくべつの事もないのをわが仕事とし、味のないものを味わってゆく。 小さいものを大きいとして大切にし、少ないものを多いとして慎重に扱い、怨みごとに対して恩恵でむくいる。 むつかしいことは、それがまだやさしいう…
災禍(わざわい)があればそこに幸運(さいわい)もよりそっており、幸運があればそこに災禍もかくれている。この循環のゆきつく果はだれにもわからない。そもそもまともな基準はないのであろうか。まともなことがひっくりかえって型やぶりに変わり、りっぱ…
外に出かけることが遠ければ遠いほど、知ることはますます少なくなっていくものだ。それゆえ「道」と一体になった聖人は出歩かないですべてを知り、見ないでいてすべてをはっきりとわきまえ、何もしないですべてを成しとげる。 足もとよりも、さらに自分の内…
人びとは名誉や財産の欲にとらわれてわが身のことを忘れ、名誉や財産の獲得を喜んでわが身をそこなう害を知らないでいる。それゆえ、欲をとげようとして極端なものおしみをしていると、必ず大きな浪費(むだづかい)をすることになり、あまりにもたくさんの…
たびたびの栄誉を求めて高貴になろうとするのは、かえって栄誉を失うことになるのだ。りっぱな宝玉のようなありかたも、つまらない石ころのようなありかたも、どちらも望むことではない。根源の「一」を獲得してそこに落ちつくことだ。 金谷治『老子』 私た…
「徳」のじゅうぶんな人は、ことさらなしわざをしない「無為」の立場を守っていて、何かをしたという跡を残さない。 金谷治『老子』 「徳」というのは大事にする習慣という意味だと思うのだけれど、自分が自分を大事にしていれば、「ことさらなしわざ」をい…
「足るを知る」ことの大切なことは、われわれにもわかる。ただ、それでは消極的だと考えて、やはり財産をいっぱいに積みあげようといつまでもあくせくとするのが、凡人であろう。(中略)目標をもって努力しているそこにこそ、すでに目標は達成されていると…