おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

『梅干しと日本刀』から学んだこと3選


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職場の人に勧められて樋口清之さんの『梅干しと日本刀』という本を読んだ。

 

自分の生活に取り入れたい点、印象深かったところを厳選して3つ書き記しておこう。

 

1 和食には先人の知恵が詰まっている。

 

日本人は世界に類を見ないほどに美食家であり、常に何かうまいものはないかと探求し続けてきたという。

 

栄養を削ぎ落としてまで旨さを求めたものの代表格が白米で、玄米は保存性も栄養面も白米より優れているのだけれど、やっぱり白米のほうがうめぇだろ! ということで白米を主食に選んだ。

 

そして白米のデメリットを補うかのように日本では発酵食品が発達した。味噌、納豆、漬物、塩辛。これらの発酵食品と白米を同時に食すことにより、白米中のデンプンや糖分がアミノ酸に分解されて、そのアミノ酸が健康な体を作ってくれる。

 

まじですげぇ。

 

日本の伝統的な庶民食には先祖の知恵が余すところなく詰まっている。

 

私は玄米も白米と同様にうめぇ!と食せる凡夫であるため、玄米と味噌汁を食事の基本に据えている。どうやら間違っていないようである。

 

本書では先祖の知恵として、ゴボウこんにゃくについても言及されていた。

 

ゴボウというのはそもそも漢方薬らしく、そのゴボウを普通の野菜として食べるのは日本人だけらしい。そしてそのゴボウというのは完全不消化食品で、食べたものは一切体に吸収されることなくそのまま出てくる。何もせずに出ていくのではなく、体中の毒素を吸収して出ていってくれる。

 

こんにゃくも水分以外の部分は完全不消化食品らしいのだけれど、こんにゃくに含まれるこんにゃくマンナンというわけのわからないものが、コレステロールを溶解させ、高血圧や血管炸裂を防いでくれる。

 

まじでありがたい食品じゃんけ。

 

さっそく普段作っている味噌汁にゴボウとこんにゃくを入れてみたのだけれど、普通にうめぇ。

 

先祖すげぇ。

 

2 国、いや世界平和を支える前戯

 

日本に現存する最古の医学書である『医心方』には「和志(わし)」という項目があり、和志というのは前戯のことらしいのだけれど、それはもちろん単なるエロ・コンテンツではなく、そこには「陰陽調和の原則」が滔々と説かれているという。

 

要するに

 

女性が陰で、男性が陽。陽ばかりが盛んで、陰がそれに調和しないときは、家が乱れ、夫婦の間が乱れ、それは国を乱すもとになる。

 

陰陽の程度がアンバランスであってはならない。気をひとつにしなければならない。つねに相手の気分を考え、陽は陰を起こし、陰は陽に応え、最高に高まったときに合体すると、それによって男のほうも幸せを得る、と同時に長生きをする。

 

お互いに相手の気分を盛んに高めたうえで、完全に調和して、喜びをともにする。一方的に喜びを感ずるなんてことは、ひじょうなエゴイズムで、夫婦、家、ひいては国家の乱れるもとだ。(上記引用文は全て同書より)

 

ということだ。

 

まじでやべぇ。

 

これは仏教における布施の精神自利利他の精神とも共鳴する。近江商人「三方良し」の精神にも共鳴する。

 

陰陽調和に基づいた前戯を大切にすれば、相手良し、自分良し、社会良しというわけだ。

 

故に前戯が「和志」という名称を関しているのも納得がいく。「和」を「志す」。相手良し・自分良し・社会良しを心がける。自利利他を意識する。

 

おい、金正恩! 大事なのは和志やで。

 

まぁ、正恩のことを言う前に自分をどうにかしないといけない。

 

幸か不幸は今の私には和志を実践できる直接的な相手はいないのだけれど、和志の精神はどこであろうと実践できる。

 

がんばろう。

 

3 科学を絶対視しない

 

昔の日本人は「自然には勝てない」という大前提のもと種々様々な技術や文化を育んできた。

 

「自然には勝てない」と認識するということは人間の限界や不完全さを認めるということでもある。

 

今日の世界では何かにつけて科学が絶対視されるが、科学も所詮は不完全な人間の産物なのだということは忘れないようにしたい。

 

私たち人間全部が肯定したもの、それが科学的真理だが、人間の真偽の判断能力には限界がある。見えないものもあるし、聞こえないものもあるからだ。その不完全な人間の説明だけが科学的だとなると、自分でよく確認もできないことについても、”そうだ、そうだ”と多数決で、それを真実にしてしまうことがあるだろう。しかし、真実は他にあるかもしれない。

 

(〇〇)は科学的に説明できないという理由で、言い換えるなら、自分がわからないことについて”それはありえない”という言い方をするのは、不遜だと思う。(()部分は筆者追記)

 

だから科学はいらないというのではない、ただ、合理性を追求する科学が、それ故に不合理を起こすことも知ったうえで、科学を使っていかなければならないと思うのである。(上記引用文は全て同書より)

 

全くもって同感だ。

 

科学は極めて有効な手段だが、それは人間の不完全さ・愚かさを認めたうえで初めて成り立つ有効性だと思う。

 

そして、人間の不完全さや愚かさをバチバチに教えてくれるのは宗教や哲学や歴史や文学だ。

 

先人たちが「上には上がいる」「どうしようもないことがある」「自分はバーロー」だとコナン風に素直に認めた上で謙虚に過ごしてきたように、私も傲慢にならないように注意しなくてならない。そのために本を読み続けていこう。

 

素晴らしい本を教えてくれた同僚の方にまじで感謝。