おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

ミスはミスだけど、ダメではない。

先日、私は仕事で少し大きなミスをした。

そのミスのせいで、数十人の顧客に迷惑をかけてしまい、その後始末に今も追われている。

 

そのミスは完全に私の注意不足に起因するもので、言い訳するつもりもないし、反省している。

 

ミスはミスで仕方がないので今後同じミスをしないように気をつけていくしかない。

 

ミスをしてしまった時に、仏教的に注意しなければいけないことは、自己否定をしないことだ。つまり、「ミスをしてしまったから自分はダメだ」という思考に陥らないようにしなくてはならない。

 

「ミスをした、でも自分はダメではない」と考える。そうすると、ミスをしたという事実には事実として向き合うことになるし、自分はダメな人間だという自己否定も避けることができる。

 

自己否定というのは自分を責める行為であり、苦しみは自己否定から生じる

つまりミスをして、相手がどんなに自分を責めてきたとしても、最終的に自分が自分を責めなければ(もちろん相手のことも責めなければ)、苦しみは生じない。ミスをしたら反省する必要はもちろんあるが、無駄に苦しむ必要はない。

 

自己否定(あるいは人を責めることの多い人)の根底には「都合の悪いものは責めれば消える」という発想がある。その発想を真実として認識しているが故に何か都合の悪いことがあったら自分を責め、相手を責める。

 

誰かを責めれば物事はうまくいくと考えているパッターンだ。

 

だがしかーし、真実からすると、都合の悪いものは責めても消えない。私がどんなに私を責めても私のミスは消えないし、ミスをしてしまうという私の一側面も消えない。

 

私ができることは自分のミスの対処に全力であたることであり、ミスをしてしまう自分の一側面をかけがえのない自分の一部として受け入れることだ。

 

だからといって、どんどんミスをしまくっていこう、というわけではもちろんない。ミスをして人に迷惑をかけないほうが良いに決まっている。

 

しかし、ミスをしてしまうという自分を受け入れたならば、ミスをしてしまう自分のために自分なりに合理的な対策を真面目に考えられるようになるし、それでも万が一ミスをした時には、ミスをする自分を受け入れている分、自己否定が減り、苦しみが減る。

 

「ダメだ」というのは、この場にいてはいけない、生きていてはいけない、無価値であるというような強い否定的な意味をもつ言葉だ。ミスはミスでしないに越したことはないが、単なるミスごときで人間存在を否定するには当然あたらない。

 

ミスをしたから私はダメだと考える余地は一切ない。

 

仏教ではたとえそれがどんなに極悪非道なことであっても、それを理由にその人自身の人間存在を否定することは絶対にない。責めれば悪はなくなるという発想で生きている周囲の人間は否定してくるかもしれないが、真実ベースで生きている仏や菩薩クラスの人は楽勝で温かく肯定してくれるものなのだ。

 

仏教では自分が起こした思いは必ず自分に跳ね返ってくる、つまり自分の思いが自分の世界になると教えられている。自分が温かい思いを起こし続ければ、温かな世界ができあがり、冷たい思いを起こし続ければ冷ややかな世界ができあがる。

 

仏や菩薩クラスの人はこのことが骨身に染みてわかっているからこそ、絶対に人に対して否定的な思いを起こさないし、否定的な思いを起こしている人を見ると、あとで全部自分に返ってきて苦しい思いをするんだろうなー、まじで南無阿弥、と憐れむのであーる。人を否定するということは自傷行為に等しいからな。

 

日頃からミスを起こした人に対する自分の否定的な思いが強ければ強いほど、自分がミスをした時に、自分の日頃の否定的な思いがそっくりそのまま自分に跳ね返ってくる。実際には誰も自分のことを責めているわけではないのに、誰かに責められているように感じる。苦しくなってくる。

 

仏教の智慧がなければ、自分が責められているように感じる原因は自分の日頃の思いではなく他人にあると断定してしまうことになる。 確かに私はミスをしたかもしれないがあんな言い方しなくてもええじゃないか、絶対に許さないどす!となんらかの取っ掛かりを無理くりにでも見つけて他人を責め、さらに否定的な思いを起こして相手に向けるようになり、それによって再びその否定的な思いが返ってくる準備が着実に準備されてしまう。その無限ループだ。

 

私は決して仕事が完璧にできる人間ではなく、ミスをしてしまうこともある平凡な人間だ。そのことをしっかりと受け入れていこう。そして、ミスをしてしまう自分に寛容に接するように、ミスをしてしまう他人にも同様に寛容に接していこう。そうすることで、その分自分がミスをした時に辛い思いをしなくて済む。

 

とにもかくにも仏教にまじで感謝。

 

長くなってきたので終わります。