おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

風邪と無常

先日、風邪を引いた。急性扁桃炎だった。

 

私は健康的な日々を送っているつもりで、ここ数年間は二日酔い以外の体調不良は見に覚えがなく、「私は健康な人間だ」と思い込んでいた。

 

仏教ではこの「私は健康な人間だ」という自分を美化するセルフイメージを我(が)と呼ぶ。

 

我というのは物事を固定的に捉えてしまう。このように物事を固定的に捉え、それが永遠不変のものであるかのように認識してしまうことを常(じょう)という。

 

つまり私は、「私は健康的な人間だ」という我を持ち、「風邪なんて引くはずがない」という常を抱いてこれまで生きていたわけだ。

 

だがしかーし、「私は健康的な人間だ」という我も「風邪なんて引くはずがない」という常も所詮は自分勝手なただの思い込みに過ぎない。

 

そう思い込んだところで現実とは何の関係もない。

 

現実は私の独善的な思い込みなどガン無視で容赦なく現実を突きつけてくる。

 

今回の件であれば、現実は私に扁桃炎をもたらし、「私は健康的な人間だ」という我を突き崩し、「風邪なんて引くはずがない」という常を覆した。

 

これが無常というやつだ。

 

私にはまだまだ固定的な思い込みというものがある。

 

私はこういう人間だ

あの人はこういう人間だ

あれはああいうものだ

あれがこうなるはずがない

 

私はこのような自分の思い込みの中でへらへらと生きている。

しかし、現実は確実に思い込みと食い違う。

 

いずれ現実が突きつけられた時に、こんなはずではないと狼狽し、現実を受け入れるのではなく自分の思い込みに執着し、他人や周囲の環境を責め、現実を自分の思い込みに無理矢理合わさせることがないように、日頃から準備をしておく必要がある。

 

まずは、自分は自分勝手な思い込みの世界に生きていることを自覚すること。

 

そして、自分の思い込みが崩れた時は、その分、現実への耐性や、現実を受け入れる柔軟性を手に入れる好機だと捉えること。

 

今回風邪を引いたことにより、私の「私は健康的な人間だ」という思い込みは崩れ「私は風邪を引いて寝込んでしまうこともある人間」という少しマイルドな思い込みを得ることができた。

 

いずれこの思い込みも現実によって崩され、風邪どころでは済まなくなってしまう時が来るんだよなー。やばよなー。

 

とにもかくにも、風邪を引いたおかげで少しは現実を受け入れられて、自分の傲慢さを少しは減らせたかもしれない。良かったぜい。

 

P.S.

帰宅後のうがいはまじで習慣化しよう