私は「自分は正しい人間である」、「自分は善い人間である」、「自分は価値のある人である」と思い込み、他人を「間違った人間」、「悪い人間」「価値のない人間」だと思い込んでいる。
だから何らかの苦しみを感じた時、「正しい自分のせいであるはずがない」、「良い自分のせいであるはずがない」、「価値のある自分のせいであるがない」と思い、その結論は常に「あいつのせいだ」、「社会のせいだ」、「あいつが悪い」、「社会が悪い」ということになり、自分を省みることが一切ない。
しかし、自分が苦しんでいるのは自分のせい、より厳密に言えば自分の思考の癖のせいであり、苦しみを減らしたければその癖に事あるごとに気づき、見直していかなくてはならない。
悪い思考の癖を善い思考の癖に変えていかなくてはならない。
日常生活において何か苦しみを感じた時、一旦立ち止まり、今の自分がどういう思考をしているかを客観視してみる。
なるほど、おれは今人のせいにしようとしているなー、自分は正しいと思っているなー、とただただ気づくこと。
そしてその時に、それは本当の自分ではないと否定したり、人のせいにすることを正当化するのではなく、これが自分なんだなー、こういう癖があるんだなー、とただただ認めること。まずはそれが大事。
この世は自分の考え方の癖を教えてくれる鏡のようなものだ。
悪い考え方の癖からは苦しみが生まれるので、その苦しみは自分の悪い考え方を見直す良い機会となる。その良い機会を捉えて、悪い考え方の癖を少しづつ善い考え方の癖に変えていくと、次第に苦しみが生じにくくなり、同時に穏やかな気持ちが生じてくる。
この仕組みがわかっていれば、苦しみという結果にも感謝できるようになる。なぜならば、その苦しみをきっかけに良い考え方の癖を手に入れることができるからだ。
しかし、逆にその苦しみを悪いものと捉えて、自分を省みず、人のせいにしていると、苦しみが苦しみを生み続ける結果になってしまう(この仕組みの詳細はなんとなくわかっているけれどうまく書ききれないので割愛します)。
以上のようなことを最近仏教から学ばせていただいた。
自分なりに整理して書いたつもりではあるが、どこか間違って理解しているかもしれないので、これからも仏教は学び続けていこう。