おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

職場のヒステリー

先日職場でAさんにこのメールを送ってくださいという業務依頼をしたのだけれど、そのAさんがヒステリーを起こしている。

 

どうしてその業務を私がやらないといけないのか。

そこでミスをしたらその責任を私に押し付けるつもりだろう。

こうなったらもう本部に通報してやる。

 

みたいな感じの雰囲気で、正直困っている。

 

Aさんにお願いした業務は、みんな共通のルールの下、誰もがやっている業務で、Aさんにとっては初めての業務というだけだ。

Aさんにその業務をお願いすること自体、特に何の問題もない。

 

ミスをしたら責任を取るのは管理職であり、場合によっては私だ(管理職ではないが)。

もちろんミスをしたら、どうしてミスが生じたのかの検証のためにAさんから話を聞くことはあるかもしれないが、Aさんを責めてどうこうしようというつもりはない。

Aさんのミスによって生じた問題には、一緒になって対処していくつもりである。

 

この時に注意しなければならないのが、Aさんは間違っていて、私のほうが正しいという前提に立って、Aさんの間違いを指摘してAさんを動かそうとすることだ。

 

その業務について、私から見える景色とAさんから見える景色はおそらく全く異なっている。

 

私にはそれが青に見えるが、Aさんにはそれが赤に見える。

 

私にとっては青にしか見えず、Aさんにとっては赤にしか見えない。

 

私にとって青だからといって、それが本当に青かはわからないし、Aさんにとってそれが赤だからといって、それが本当に赤かはわからない。

 

その状態で、これが赤に見えるのはおかしい、どう見ても青だろう、青に見えないのはおかしいでやんす、と責め立てると、どちらが正しいのかという問題に発展し、喧嘩になる。

 

この世の喧嘩の原因は、多くの場合、自分にとっての見え方や感じ方が世界共通の認識と思ってしまうこと、自分にとっての常識が世界の常識だと思ってしまっていることにある。

 

私たちには「自分は何が正しくて何が間違っているのかをきちんと見分けることができる」という自分の正しさへの盲信がある。

 

その盲信が自分の常識になり、自分の常識に沿っている人間(自分を含む)は常識のある人間=善人となり、自分の常識にそぐわない人は非常識な人間=悪人となる。

 

そして私たちは「悪人は苦しめてもいい」「悪人は粗末に扱ってもいい」「悪人は傷つけてもいい」「悪人を苦しめ傷つけ消し去ることによりこの世は良くなる」という根深い思想を持っている。

 

自分の正しさへの盲信と人を善人と悪人に区別する性質と悪人への冷淡さが組み合わさり、正義と正義という構図(一方の正義からするともう一方は悪)の争いが生じてくる。

 

私にはその業務は何の変哲もない業務に見えるけれど、Aさんにはその業務が私とは違う形で見えている。

 

んじゃあ、どのように見えているのかしらん。

 

想像するに、Aさんはその業務における失敗を極端に恐れている。

 

(確かに失敗するとまずいが、そのリスクは誰もが背負っている。初めての人であれ慣れている人であれリスクは同じという性質の業務だ。)

 

より具体的に言うと、失敗して「有能な自分」「できる自分」というイッメージが崩れてしまうことを恐れているのかもしれない。

 

そしてなぜ「有能な自分」「できる自分」というイッメージを崩すまいと執着するのかというと、自分が日頃から「有能ではない人」や「できない人」に当たる人に攻撃的な思いを起こしているからだろう。

 

たとえば、自分が日頃から「無能な人間は消えてしまえ」と思っていたとすると、自分が無能な人間だと思われることが怖くなる。「みんな無能な自分のことを消えてしまえと思っている」と思ってしまうからだ。そして、無能な自分をこんな自分はダメな人間なんだと責めてしまうからだ。

 

そしてAさんにヒステリーを起こされたことによって、私自身も不快な気持ちになっている。

 

それはAさんのヒステリーによって、何か悪いことをしたような感じがする、自分が悪人になったような気がするからだ。

 

そして、私自身に悪人を責める心、思考パッターン、思考の癖のようなものがあり、自分で自分の悪の部分を受け入れきれていないために、自分の悪の部分を自分で責めたり、攻撃したりして苦しんでいるのだろう。

 

私が苦しんでいる原因はAさんのヒステリーと思ってしまうところだけれど、実際はそうではなく、これまでや日頃の私の思考の癖にある。

 

ここで私がAさんを責めていたら、状況はさらに悪化し、Aさんは私のせいで苦しんでいるとなり、私はAさんのせいで苦しんでいるとなり、どっちが正しいのかとなり、最終的には喧嘩になる。

 

自分の都合の悪い部分を否定する癖、自分の都合の悪い部分を消し去れば都合の良い部分しか残らないだろうという思考の癖、これらは癖であるがゆえにそう簡単には直らない。

 

できることはその時々でそれらの癖が発動していることに気がつくことだけだ。

 

「悪を責めて消し去れば問題は解決する」という思考パッターン同士がぶつかることほど最悪なことはない。

 

声出して切り替えていこう。