おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自称大人の節分

もうすぐ節分、節分と言ったら鬼だ。

 

部屋中に豆を撒き散らし、恵方巻を食い散らかすのも一興なのだけれど、自称大人であれば鬼との対話を試みて欲しいと思う。

 

鬼というのは醜いものと思われているのだけれど、鬼というのは罪人を苦しめる存在、悪いものを苦しめようとする存在、つまり、自称大人の私たちが多かれ少なかれ持っている持ち前の懲罰思想、物心と下心がついたときから親しんできた懲罰思想が鬼なのであーる。

 

つまり鬼は自分の中に厳然といるわけだ。

 

私たちは自分なりの基準で人を善人と悪人の2つに分ける傾向がある。

 

善人=正しい人、価値のある人、きれいな人、強い人、優れた人、〇〇ができる人、〇〇を持っている人・・・

 

悪人=間違っている人、価値のない人、醜い人、弱い人、劣っている人、〇〇ができる人人、〇〇を持っていない人・・・

 

分け方は個々人により千差万別で多種多様なのだけれど、悪人への態度や接し方は根本的に共通している。

 

つまり、悪人に対しては、奴は悪なのだからどんなに傷つけてもいい、どんなに粗末に扱ってもいい、どんなに苦しめてもいい、どんなに馬鹿にしてもいい、どんなに軽く扱ってもいい、どんなに愚弄してもいい、と当然のごとく思ってしまう。悪人を苦しめること、悪人の不幸を切に願うこと、これが善であり正義であると当然のように思っている。

 

悪に対する圧倒的冷酷さ、無慈悲さ、これが懲罰思想であり、これが鬼だ。

 

鬼は地獄の底で、罪人=悪人を当然のごとく苦しめいじめ抜いてほくそ笑んでいる。

 

「お前は悪人なのだから罰を受けて苦しんで当然だろう。いやー、悪人を苦しめるの楽ぴー」

 

これが懲罰思想であり、鬼であり、この鬼は個々人の中にほぼ確実に厳然として存在する。

 

よって「おにはーそとー」と豆を撒き散らしていいのは確固たる懲罰思想が形成されていない自称幼児だけで、楽勝で懲罰思想が固まっている自称大人は己の鬼と向き合う必要がある。

 

なぜならば、その鬼が不安や恐怖や苦しみを自分にもたらし、そしてその鬼は自分自身に他ならないからだ。

 

早速、私の中にいる鬼やんに話を伺ってみよう。

 

よ!鬼やん!最近調子どう?ワッツアップ?

 

おいーっす、おすかわさん。相変わらず、すこぶる好調っす。

おすかわさんが日頃気に食わない奴を悪人としてここに送り込んでくれるんで、助かってます。おれっち悪人大好物なんで。

やっぱ悪人はフルボッコにして喚き散らさせるに限りますね。あとズタズタに引き裂くのも最高っす。やりがい感じてやらせてもらってます。やっぱ悪人は苦しめてなんぼですからね。

 

いやー、それはよかったわー。

鬼やんがそんなに頑張ってくれるんならこっちも人を恨み甲斐があるってもんよ。うぜぇ奴、悪い奴、価値がない奴は苦しめないとわからへんのよ。他人も社会もみんな悪人だらけだからな。おれみたいな善人が鬼やんと一緒に悪人を成敗してやらないと世界はきれいになりまへん。

 

ほんとそうっすね。これからも一緒に悪人を苦しめ続けましょう。

あと、おれっち、おすかわさんの悪の側面も大好物で、いつも苦しめさせてもらってます。悪の消滅を祈願して滅多刺しの出血大サービスっす。やっぱり悪は苦しめる限るっす。苦しんでいてもガン無視っす。めっちゃ苦しんでて、すんげぇ気持ち良いっすわ。たまらんっすわ。

 

え? おれのこともフルボッコにしてんの?

 

そりゃそうっすよ。おすかわさんが悪とみなしたものであれば何でも苦しめる。他人も自分も関係ない。それが鬼っすからね。そうじゃないとおれっち、鬼じゃなくなります。dodaで転職しないといけなくなります。

それに、おすかわさんが誰かをここに送り込んでる時点で、その誰かっておすかわさんなんですよね、だってここっておすかわさんの心の中っすから。なんで、自分のことを痛めつけられるのなんて日常茶飯事じゃないですか。楽勝じゃないですか。今更じゃないですか。

 

え、んじゃあ、ここは自分の心の中だから、自分の悪の側面は無論オムロン自分だと理解できるとしても、ここで鬼やんがフルボッコにしてる他人もおれってこと? そんじゃあ、つまるところ鬼やんもおれってこと?

 

そうでやんす。

なんで、おすかわさんが善人ヅラしたり、ネバギバの精神で「きれいな自分」っつうメンツを保とうとしたり、悪人にならないように、言い換えると、価値のある人間になろうと強迫的に何かを成し遂げようとしたり何かを手に入れようとしたりするのは、おれっちに痛めつけられたくないからなんすよね。おれっちが恐怖や不安を与えてるんで頑張れてるんすよ、おすかわさんは。ユンケルみたいなもんなんすよ、おれっちは。

これからも悪人や自分の悪の側面を認めない「100%善良なおすかわさん」「100%完璧なおすかわさん」「100%正しいおすかわさん」でいようとしてくれると助かります。おすかわさんが「善人の自分」というものに執着すればするほど、他人の悪なりご自身の悪なりが悪人としてここに送り込まれてきて、おれっちが地獄の鬼として拷問にかけることできるんで。

そんで、おれっちが悪人を痛めつければ痛めつけるほど、その分だけ恐怖や不安が生まれてきて、ますますおすかわさんは悪人にならないように強迫的に頑張ることができるんすよ。おすかわさんが鬼として何かを責める、だから鬼に責められないように自分が頑張る。この構図っす。

そうして頑張ったら結果や実績を作りやすくなってお金も稼ぎやすくなります。GDPも爆上がりっす。

そしたら、その結果なり実績なりお金を根拠にして「100%善良なおすかわさん」「100%完璧なおすかわさん」「100%正しいおすかわさん」とイッメージを作り上げることができます。最高でしょ?ハッピーでしょ?

 

最高じゃんけ!

鬼やんやっぱ良いやつだわ。よし、今日はとりの日じゃないけどケンタッキーでも食いにいこう、うん、そうしよう。

 

以上が鬼やんとの会話でした。

 

自分の中の鬼を悪とし、その鬼を認めずに責めたり無視したりしようとすると、それはそれでまた新たな鬼やんを生み出すことになってしまう。

 

「100%善良な自分」「100%完璧な自分」「100%正しい自分」というきれいな自分像に執着する私は、自分の中に鬼がいるという現実に耐えられない。

 

よって、恵方巻きを7本食べて見たくない現実を誤魔化すことにしようと思う。

さっそく近所のスーパーへ予約しにレッツラゴー。