「生産性」だけが問われ、人望や美意識は問われない、 ということです。
こういったわかりやすい階層性、どうすれば上に行けるのかが、明確なシステムは、前述したオウム真理教の仕組みと非常に類似しているんですね。
わかりやすいシステムを一種のゲームとして与えられ、それを上手にこなせばどんどん年収も地位を上がっていくという時、システムに適応し、言うなればハムスターのようにカラカラとシステムの歯車を回している自分を、より高い次元から俯瞰的に眺める。そのようなメタ認知の能力を獲得し、自分の「有り様」について、システム内の評価とは別のモノサシで評価するためにも「美意識」が求められる、ということです。
山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』
私たちが基本的にやってしまっているゲームは、世間的に価値のある記号をかき集めるというものだ。
金、地位、名声、権力、実績、美貌、筋肉、健康、才能、知識、不動産、株式、ブランド品、車、時計、グルメ、旅行、といった記号。
こういった世間的に価値があるとされている記号をかき集め、それらをたくさん持っている人が「上」であり、もっていなければ「下」ということになる。
このようなわかりやすいゲームを血眼で繰り広げている。
そのようなゲームの中で、価値のある記号をたくさんかき集め、それらの記号を根拠にして、価値のある自分というイッメージを作り上げ、認めさせようとネバギバの精神で頑張っている。オウム真理教のように。
そのゲームの中で、実際に優越感を抱ける人は一時的な高揚感を幸福であると思い込み、優越感の根拠となっている記号をいつか失い、「下」に転落するのではないかと実際は不安と恐怖に苛まれて、強迫的に今日も記号集めに奔走している。オウム真理教のように。
そのゲームの中で、うまく価値のある記号を集められず、劣等感に打ちのめされている人は、他人を悪く見て、他人の悪を指摘し、他人を責め立てることによって「正しい自分」「清らかな自分」「善良な自分」「被害者な自分」という「価値のある自分」のイッメージを作り出そうとしている。オウム真理教のように。
ハムスターが頬袋にヒマワリの種をどんどんどんどん詰め込んでいくように、価値のある記号をかき集めている自分を、より高い次元から俯瞰的に眺めてみる。オウム真理教のように。
そもそも自分ではないもので自分を「価値のある自分」として規定しようとしている。
他人をこき下ろし、他人を粗末に扱うことに喜びを見出している。
諸行無常の理によって必ず手放すことになる記号を必死にかき集めている。
(TSUTAYAで必死にレンタルDVDをかき集め、そのレンタルDVDで自分の価値を規定しようとしている、みたいな感じのニュアンス的な雰囲気のことをやっている)
自称大人の私たち、大丈夫かしらん。
よーし、やっべぇ自分を見ないようにするために、今日も記号集めと他責活動頑張るぞい!そうして「きれいな自分像」に酔いしれるぞい!
ガチでやべぇ。
声出して切り替えていこうと思う。