私たちは一人一宇宙であって、自らの心の世界に閉じ込められ、その中でさまざまな影像を作り出し、それらに縛られて悩み苦しんでいます。すべては心というキャンバスの上に描き出された絵であり、あるいはプロジェクターによって投影された映像のようなものであり、すべては夢のような存在です。いや、夢のような存在ではなく、夢そのものであります。
言葉で考えるとおりにはものごとは存在しない。この事実を自ら心の中で確認し気づくとき、世界は大きく変貌してきます。いままでと違った世界の中で、少しはより自由に生きることができるようになります。
横山紘一『唯識の思想』
先日ヘラヘラしながら労働をしていると、Aさん(50代・女性)が私の席にやってきて、Aさんの話を聞くことになった。
Aさんの話によると、自分には職場のみんなが敵に見える、自分は同僚から嫌われている思う、だから毎日息の詰まるような思いがするでやんす、とのことであった。
Aさんが同僚のBさんや後輩のCさんと仲が悪いのは事実なのだけれど、その他の人はAさんについて何も思っていない。
むしろ、何事もうまくいっているように見える人もいるくらいだ。
しかし、Aさんの世界では様相が異なる。
Aさんの世界では職場にいる人誰もが敵に見える。
(私はヘラヘラしているだけなので人畜無害と思われているのかもしれない)
隙を見せたら誰かが責めてくるように思える。自分に対して何をしでかしてくるかわからないテロリストに見えたり、ありとあらゆる権謀術数をつかってこき下ろそうとしてくる策士に見えたり、遠距離攻撃をしてくるスナイパーに見えたりする。
自分は人から嫌われている、迷惑がられていると思ってしまう。
その思いが高じて、足音を立てると相手の癪に障り相手が責めてくるように思うため、靴を足音のたちにくいものに買い替え、トイレに行く回数を減らすために飲み物を飲む頻度を減らし、トイレに行く際もなるべく物音を立てないように、誰にも迷惑をかけないようにびっくんびっくんしながら過ごした結果、倒れて病院送りになっちゃったぜベイビー、ということらしい。
Aさんは人から敵視されていて、嫌われていて、隙を見せたら責められるという世界の中に閉じ込められている。
その世界では些細なことであっても、敵視されている自分、嫌われている自分、責められる自分というものを想起させ、常に人から敵視されているように感じるし、嫌われているように感じるし、責められているように感じる。
どんなに周囲の人間がそんなことはない、そんなつもりはないと懇々と説明しても、Aさんにはそう見えるし、そうとしか捉えられないのだから、それはAさんにとっては紛れもない現実なのであーる。
実際のところ、Aさんは自分の世界の中で否定的な影像を勝手に作り出し、それらに縛られて苦しんでいる。
自分にそう見えているから実際もそうなんだという大前提に立ちし、自分で作り出しているイッメージと現実の区別をつけることができずに苦しんでいる。
だがしかーし、物事は自分に見える通りには存在しない。自分が考えるとおりには成り立っていない。
自分にとって物事は「そう見えるもの」「そう思えるもの」その程度でしかなく、自分にはただそう見えているだけ、自分にはそう思えるだけで、自分の世界はただそういう自分の解釈、思い込み、推測だけでできている。
Aさんは、自分の足音がBさんの癪に触ると思っている。
しかし、それはAさんの思い込みに過ぎない。
AさんはそのことをBさんに聞いて確かめてみたわけではない。
ではなぜそのような思い込みが生じるのかというと、自分が人を嫌いになると、その人の足音を聞くだけで自分自身が否定的な感情を起こしているからだ。
自分が普段息を吸うように思うこと、感じること、行なうことを根拠にして、(自分もそうなのだから)あの人もこう思う違いないと予測・推測し、それを事実であると思い込んでいる。
そういう思い込みで自分の世界ができていて、その世界の中で足音を立ててはいけない、トイレに行かないようにしなければいけない、飲み物をあまり飲まないようにしなければいけない、と苦しんでいる。
自分が普段から相手を苦しめるような思いを起こしているから(実際に口に出したり、行動として示さなかったとしても、それは関係ない)、その思いによって自分の思い込みの世界ができ、その思いが自分に跳ね返ってきて苦しんでいる。
この因果関係に気がつかないために、自分の苦しみはBさんがああだからだ、Cさんがこうだからだ、と他人に原因を見出し、そうして再び他人に対して否定的な思いを起こし、その思いによって再び苦しみの世界が形成される。
Aさんはこの無限ループ、いわゆる地獄に完全にはまり込んでいて、実に苦しいだろうと思う。
そうでなければ職場の人間の多くが敵に見えたりはしない。
仮にAさんの周りから敵と思われる人が消えたとしても、Aさんの思考パッターンが変わらない限り新たな人も最終的には敵に見えて苦しむことになるだろう。
(実際にCさんは今年の4月に来たばかりだ)
私にできることはヘラヘラしながらAさんの話を聞いてあげることくらいだ。
そしてAさんの苦しみのパッターンから学び、自分自身がそのパッターンに陥らないように気をつけていくしかない。
他人に否定的な感情を起こしても何も解決せず、ただただ自分が苦しむだけというのはAさんを見ていると切に感じる。
とは言っても、起こしてしまうものは起こしてしまうのだけれど、それを起こすべきなんだ、起こすことが正しいんだ、というように正当化することはできない。
起こしたら起こした分だけ確実に苦しみとなって自分に返ってくるのだから、その理由を問わず、それはゴータマ・シッダールタ先輩の言うところの悪でしかない。
よって、否定的な感情を起こしていることにただただ自覚的である必要がある。自分が自分を苦しめる原因=否定的な感情=悪を作り出していることに気がつく必要がある。
Aさんから学べることは多い。
声出して切り替えていこうと思う。