おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

プッシュアップバーを購入した

先日、プッシュアップバーを購入した。

 

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購入したのはGrongのプッシュアップバーで、接地面が大きくて滑りにくく、グリップが真っ直ぐで、スポンジが施されているので握っていても痛くなりにくいことから購入に至った。値段も良心的だ。

 

これまではトレーニングマットの上で、何種類かの腕立て伏せをYoutube動画に合わせて行っていたのだけれど、そのメニューが陳腐化し、あまり効かなくなってきたので、少しメニューを変えることにした。

 

色々と調べた結果、プッシュアップバーを使って基本的な腕立て伏せを次からはやってみようと思う。

 

  • ノーマルプッシュアップ
  • ナロープッシュアップ
  • ワイドプッシュアップ
  • シングルレッグプッシュアップ
  • パイクプッシュアップ

 

腕立て伏せは基本的に帰宅してから行うので、さくっと終わらせたい。まずは、それぞれのメニューを限界回数まで1セットずつやれば十分だろう。

 

プッシュアップバーのおかげで胸や肩を思いっきり伸ばすことができて気持ちがいい。そしてその分きつくもある。

 

実際に上記のメニューをやってみたのだけれど、楽勝で筋肉痛になった。

 

よーし、これからプッシュアップバーで筋肉をつけまくって「ムキムキの自分」「強い自分」というものを作りあげて、他人を見下すために頑張るどぉー、優越感を得るためにやったるどぉー、他人を馬鹿にするために負けへんどぉー。

 

というのは嘘で、そのような優越感ベースのモチベーションは仏教的に苦しみを生むだけなので慎むとして、愛犬を大事にするために愛犬と一緒に公園を走り回る感覚で、筋トレも楽しんでいきたい。

 

自分の体は誰かと比べて人を見下し優越感を得るためのハイブランドアクセサリーではなく、愛犬と同じでただただ大事にしていくべきものだ。

 

その整った体は優越感を求めた結果のものなのか、それとも大事にしている結果なのか。あるいは大事にしようともせず、ケアを怠り粗末にし続けた結果なのか。

 

そしてどんなに大切にしても、愛犬が老いさらばえて朽ち果てていうように、自分の体もそうなってしまう。だからと言って、大切にしなければ、とんでもないスピードであれよあれよと老いさらばえて衰弱してしまう。老いに対抗している気になることはできても、老いに対抗することは絶対にできない。老いに対抗するということは、諸行無常の理に対抗するということで、真理には絶対に逆らえない。

 

物ごとは変わっていないという思い込みの中で生きることはできるが、そのような各個人の思い込みとは全くもって無関係に、現実というのはある。例えば、私たちは「今日は死なない」という思い込みの中に生きている。だからこそ、私であれば、ヘラヘラしながら屁をこきつつもプッシュアップバーについてブログを書いていられるのだけれど、「今日は死なない」というのは私個人の勝手な思い込みであって、そんなものとは関係なく死というものはやってくる。今日死ぬな、ということがわかりきった状態で死んでいった人の数というのは極めて少ないように思う。このようなことは頭ではわかっていても、全くもって恐怖心が湧いてこないということは、やっぱり私は「今日は死なない」と根深く思い込んでいる。

 

それほどまでに私たちは、「自分は正しい」という前提に立ち、そうなると正しい自分の思い込みも正しいということになり、その結果、私たちは「正しい自分の正しい思い込みの中」を自分の世界として生きることになる。そして、自分の正しさが脅かされると、自分の世界が崩れてしまうことになりかねないので、激おこプンプン丸に・・・

 

なんか話が逸れ過ぎてきたな。

 

よし、とりあえず腕立て伏せを頑張っていこうと思う。

 

以上です。