おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

私のハラスメント対策

先日、同僚Aさん(50代女性)から長々と愚痴を聞かされたことがあった。

 

まずは内線がかかってきて電話で、そして次は机を訪れてきて直接愚痴を聞くことになった。

 

私としては人の話を聞くのはさほど苦痛ではないし、往々にして楽しいので問題はない。(仕事が立て込んでいる時に来られるともちろん困る)

 

Aさんは自分が人から苦しめられていると感じている。人によって苦しめられていると感じやすい。

 

例えば、あるチームにAさんを含む3名が所属しているとして、その内の2名が話しているのを見るだけで、自分はそのチームから仲間外れにされていると思ってしまい苦しむ。

 

ここで注目するべきなのは、Aさんは残りの2名の本当の心境や本当の意図というのがわからないにも関わらず、彼らはこういう心境に違いない、こういう意図に違いないと勝手に断定して苦しんでいるということだ。

 

相手を見た時、相手のことを思い浮かべた時、神でも仏でもない私たちは、その相手が心の中で本当はどういうことを思っているのかということを絶対に把握できない。私たちは相手に聞いて確認したわけでもないのに、相手の心情を自分なりに推し量ってそれを断定し、それをもって相手を責めてしまう。

 

Aさんは、その他2名の心の内について確認できているわけでもないのに、勝手に自分なりに解釈して苦しんでいる。

 

なぜ不確かなものをそのように解釈してしまうのかというと、自分が相手の立場になった場合そうするからだ。

 

つまり、3人のチームで動いていた時、Aさんはその内の1名を排除する意図をもってもう1名と二人きりで話そうとする。そして2名で話す時は、もう1名の悪口を言うことが多かったり、もう1名を仲間外れにできて痛快に思うことが多かったりする。自分が冷淡な気持ちで行動を起こすことが多いために、相手の言動も冷淡に思え、その自分なりの解釈によって苦しんでいる。

 

これと同様に、ハラスメントされたと感じやすい人は、普段から人に少なくとも心の中でハラスメントする気満々で接しているが故に、人からの言動をハラスメントとして感じやすくなり苦しむことになる。

 

例えば、ここに異性から「髪切った?いいですね」と言われて、それをセクハラと感じる人(Bさん)がいるとする。となると、Bさんは相手の容姿を褒める時、その心は相手を舐め回す気満々なのだろう。自分がそうだから、相手が自分の容姿を褒めて来た時に相手もそのはずだと解釈してしまう。そうしてハラスメントされたと思い込み、苦しんでしまう。自分にハラスメント的精神があるから、ハラスメントされたと感じやすくなってしまう。Bさんは相手がどんな気持ちで「髪切った?いいですね」と言ったのかは絶対にわからない。その状態で相手の意図を断定する手がかりは自分の普段からの思いや感情でしかない。

 

結局のところ私たちは相手を通じて自分を見ている。このことに気が付かないと、相手を責め続け、自分も苦しみ続ける羽目になる。

 

AさんもBさんも、ハラスメントされたぽよ、と言って職場を変えたとしても、自分が普段からハラスメント的な思いを起こしていることに気が付かず、そのまま起こし続けている限り、新たな職場でも前の職場と同様の物事の捉え方をしてしまい苦しむことになる。

 

そうならないためには、相手を通じて見えた自分の醜い思いを受け入れる必要がある、普段から醜い思いを起こしている自分に気が付き、そういう自分の側面を受け入れる必要がある、善人度100%ではない自分、見れば見るほどに善人からはほど遠い自分に気が付き、そのことを受け入れる必要がある。

 

今日も職場へ赴き、相手を通して見える自分、臆病で卑怯で矮小で吝嗇で冷淡で猥褻で傲慢で醜悪だけれど自分の大事な心の一部分たちと向き合ってこよう。これが根本的なハラスメント対策である。

 

行ってきます。