生きるとは、白色の世界を塗る営みだと認めるなら、それは、自分の問いの深さ、懐疑がいかほどのものか、それがそのままその人の人生、生き様となります。その問いが充分深ければ、すなわち本質的であるなら、それは常識的に生きる人を深く納得させることになり、あるいは納得されなくても何かを感じさせるものになるでしょう。人の生き方に正しいも間違いもないのは、 そして勝ちも負けもないのは、あまりに常識。先に、本分であるなら、偏りも然りと書きましたが、それはこの理由によります。
宮野公樹『問いの立て方』
私たちは白色の世界を自分の心のフィルターの色を通して見ていて、その色を現実だと思っている。まぁ実際にそう見える世界がその人にとっての世界なわけだ。
心のフィルターが赤色であれば、その人にとって世界は赤色に見え、その人は実質的に赤色の世界に住むことになり、その世界がその人にとっての現実ということになる。
本来世界は白色。だけど今のところ自分には赤色に見える。
自分にとって「赤色に見える」からといって世界が「赤色である」とは限らない。
他人にはこれが何色に見えているのかしらん。
というように、自分は無色透明な世界に自分なりに色をつけて物事を捉えているに過ぎないということがガチのムチで理解できれば、自分の世界の見方を絶対視することがなくなり、自分なりに色をつけて物事を捉えているのは他人も同じなのだから、自分にはこう見えているけどあの人にどう見えているのかしらんと、相手の世界の見え方に興味を持つことができ、想像することができ、それを受け止めることができるようになる。
自分の見方を絶対視することがなくなるし、他人の見方を絶対視することもなくなる。
自分にはこう見えるのかー、ほーん、おもろいどすなー、
あの人にはああ見えるのかー、ほーん、おもろいどすなー、で終わりだ。
自分には赤色に見えていて、あの人には青色に見えていて、どちらの見え方が絶対的に正しいかどうかはわからないけれど、それぞれにはそう見えているという事実しかそこにはない。そしてその事実を受け取ればいいだけということがわかってくる。
だがしかーし、私たちは、なんであいつにはこれがこう見えないんだぽよ、おれの世界の見え方が絶対に正しいんだぽよ、おれに赤色に見えるということはみんなも赤色も見えないとおかしいんだぽよ、あいつがおかしい、社会がおかしい、世界がおかしい、おれだけが正しい、みたいな感じのニュアンス的な雰囲気の思考パッターンに陥ってしまうことが多く、それ故に正しさの証明合戦を日々繰り広げるという無益な消耗戦を繰り広げて勝手に苦しんでいることが多く、こんなに苦しいのはあいつのせいだ、社会のせいだ、世界のせいだ、おれは被害者、みたいな感じのニュアンス的な雰囲気の思考パッターンに陥ってしまうことが多く、それ故にいかに自分は被害者かの証明合戦を日々繰り広げるという無益な消耗戦に繰り広げてしまうのだけれど、そのような私たちは自分が自分の見方を絶対視し、個々人はそれぞれの物事の見方の中でしか生きられないということがわかっていないが故に、自分が自分にとっての一番の加害者になってしまっているということに気がついていない。
そして自分が自分にとっての一番の加害者ということに気がつくと、これまで被害者として加害者を責め立ててきた分だけ、加害者としての自分をも責め立てることになり、それはそれで苦しい思いをする。
そしてその苦しい思いを避けるために再び自分は被害者というポジションに舞い戻り、再び他責が始まる。
自分にだけ見えている色、正しさや間違い、勝ちや負け、上や下。
仮に他人から影響を受けたとしても最終的には自分が作り出した物事の見方や概念、思考パッターン、そういったものの中でしか生きられないというガチのムチの真実。
自分に見える「自分の世界」というのは自分が作り出した物事の見方や概念、思考パッターン、そういったものだけで構成されていて、他人に見える「他人の世界」もまた同じということ。
世界の見え方は自分の思考パッターンによって変わってくるのだから、自分には世界がどう見えているのか、どうして自分には世界がそう見えるのか、というようなことを考えていくと、自分の思考パッターン=自分の世界がだんだんとわかってくる。
人それぞれの物事の捉え方や考え方を許容できないということは、自分の常識=世界の常識、自分の正しさ=世界の正しさと思い込んでいるのかもしれない。
自分の思考パッターンによって自分の世界が展開されているように、他人の世界も他人の思考パッターンによって展開されているということに気がついていないのかもしれない。
自称大人になっても自分の世界の色が変わっておらず、その中でずっと苦しい思いをしている、幸福を感じられないのだとしたら、それは思考パッターンがずっと変わっていないということで、何も成長していないということなのかもしれない。陰毛だけが生えては抜け、生えては抜けを繰り返しているだけなのかもしれない。
人間ておもろいなー。
声出して切り替えていこうと思う。