今回の連休は実家に帰ることになり、往復の新幹線の中で『イシューからはじめよ』という本を読んだ。
この本の中で最も大切なことは、序章〜第一章に集約されていると言っても過言ではない。
我々凡夫は、日々何らかの課題や問題に取り組んでいるわけであるが、その課題や問題は果たしてイシューであるのか、それについて立ち止まって考えてみる必要がある。
この本では、イシューというのは「答えを出す必要性の高いもの」とされている。
何かに取り組み始める時に、果たしてそれは本当に取り組む価値があるのだろうか? 果たして一生懸命に考えて答えを出す価値が本当にあるのだろうか? その問題を解決することによって有益で大きな変化が本当にもたらされるのだろうか? という風にまずは見極める必要がある。
この見極めを怠ると、どうでもいいような些末な問題、例えば資料のページ数の表記の位置は下側中央が良いのか、右端が良いのかという問題に6年間もの時間を費やす、という破格のスケールの無駄が生じてしまう。
取り組むべき課題が見つかったら、それは以下の3点を満たしているかも確認する必要がある。
① 本質的な課題である。
② 深い仮説がある。
③ 答えを出せる。
①については、この課題が解決したらその後のプロセスに多大な影響が出てくるかどうかを考えれば良い。
②については、この問題の答えは常識を覆してしまうようなものであったり、ものの見方を変えてしまうようなものになり得るのかどうかということだろう。
③については、果たしてその課題なり問題に決着をつけることができる見込みがあるのかどうかだ。
今日におけるイシューは何であろうか?
例えば、「新型コロナウイルスは果たして本当に特別に危険なのか?」という疑問は果たしてイシューになり得るのかどうかについて考えてみると、これは早急に答えを出す価値のある問題であろう。
というのは、今日の日本においては「新型コロナウイルスは極めて危険」という前提のもとで、多くの人がマスクの着用を雰囲気的に強制させられ、移動を制限させられているからだ。
仮にこれが「新型コロナウイルスは従来の風邪と危険度は変わらない」という仮説が証明されれば、今日の常識は覆り、多くの人の行動に甚大な影響をもたらすことになる。
ではこの課題に答えが出る見込みはあるのかというと、あると思う。
これまでのコロナ禍以前の人口動態統計データとコロナ禍以降の人口動態統計データを比較したり、従来の風邪と新型コロナウイルスの特徴を比較したりすれば自ずと結論は導き出せるのではないだろうか。
みたいな感じの整理で、イシューを見極めて行くのだろうか?
再読してもっと理解を深めた方が良さそうだ。