男と女はもともと作りがちがっている。この事実を認めようとせず、勝手な期待を相手に押しつけると、男女関係が暗礁にのりあげる。人間関係で降りかかるストレスのほとんどは、男と女はまったく同じで、同じような欲望や衝動を持ち、大事に思っていることも同じだというまちがった認識が原因になっている。
アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ『話を聞かない男、地図が読めない女』
私たちは自分は絶対に正しく、自分が思っているとおりに世界や他人はあると思い込んでいるのだけれど、全ては個人的な思い込みでしかないし、個人的な解釈でしかないし、個人的な推測でしかない。
(シンプルに、この世には自分と自分の解釈しか存在しない。そして自分の解釈の中で一喜一憂しているに過ぎない。そのようなことが人の数だけあるだけだ。)
ある人の一時的な一言動から「あの人はこういう人だ」と決めつけ、固定化し、自分なりにその人物像を作り上げ、その像をその人だと現実のその人であると思い込んでしまう。
自分が作った虚像を現実の相手であると段違いな勘違いをし、その虚像=自分自身の思い込み・解釈を崇拝したり罵倒したりする。
自分が相手であると思い込んでいる虚像は、自分にとって都合の良いように歪められていて、あの人はああいう人なんだと、変わらないものとして固定化され永続化されている。
しかし、それはあくまでも個人的な思い込みでしかなく、現実は個人の思い込みとは別に存在する。
自分が多面的で変動するように、相手多面的で変動する。
自分に自由な領域があるように相手にも自由な領域がある。
自分も自由に動くし、相手も自由に動くわけで、ということは自分の思い通りにならないことが自然なことであり、大前提なのだけれど、相手の自由を認めずに、なんでこうじゃないんだ、ああじゃないんだと怒鳴り散らしている、テレビやネットや新聞にいきり立っている、声には出さなくても心の中で憎悪感情を煮えたぎらせてしまっている。
これが自称大人の大半なのであーる。
相手が自分の思い通りに動かないということ、物事が自分の思い通りにいかないことは「自分の思い込みと現実は異なる」ということを知らせてくれるある種の啓示とも言える。
そこで「思い込み」を「思い込み」として気づき、思い込みを現実に合わせて調整できればいいのだけれど(調整したとしても思い込みから別の思い込みになるだけで私たちが自分の思い込みから抜け出せることはほぼ絶対にない、抜け出せた時はもうそれはゴータマ・シッダールタ先輩の領域になる)、自分は正しいという根深い思い込みがあるために、ある物事に対する思い込みを変えると自分は正しいという前提が崩れてしまい色々と都合が悪いので必死に現実を否定し誤魔化し、自分の思い込みにすがろうとする。
自分は正しいという思い込みの下、実際には無駄でしかないことをあたかも大事なことであると勘違いし、その無駄なこと、見当外れなことに凄まじいほどの時間と労力とお金をかけてきた、かけているために、今更自分は間違っているかもしれないと認めてしまうとこれまでの人生の大半が無駄だったということになってしまい、それは到底認められないからな(まぁ、どこかで認めないことには何も根本的には変わらないのだけれど)。
ものの見方=自分の解釈=自分の世界が固定化され、変えようにもガチムチに膠着している状態は実質何も見ようとしないということになる。
現実は変化し変動しているのに、自分の世界=自分の解釈は固まっている。
現実の相手は多面的であり常に変化しているのに、自分の相手に関する解釈=自分が相手であると思い込んでいる虚像は固まったままで、いつも「あの人はああいう人」ということになっていて、相手のことを全然見ようとしない。相手に注意を払うことがない。
私たち自称大人は表面上は強がっているが、本当は人から注意を払って見てもらいたいし、大事にされたいと思っている(それ故に、人から注目されて大事にしてもらおうと価値のある自分像を証明することに膨大な時間と労力を日々投じている)。
つまり、固定化された見方しかせず、相手をきちんと見ようとしなければ、相手は寂しい思いを抱えたままということになるのだけれど、やはりここでも私たちには自分は正しいと思い込んでいるために、相手のことをきちんと見ているつもりになってしまう。
そうして自分の相手像=虚像と実際の相手とのギャップが大きくなり、さらに時としてなんで私の虚像通りじゃないんだと実際の相手を否定しまい、人間関係が悪化の一途を辿ってしまう。しかも依然として自分は正しいという大前提に立っているので、人間関係悪化の原因も全部相手のせいにしてしまう。
進行形で自分が捉えているものは自分の思い込み、自分の解釈、自分の推測でしかない、実際のところはよくわからない、ということに気がつくのは難しいため、1日の終りに、自分が今決めつけていること、今固定化して見てしまっていることを書き出してみると良い。
例えば、私を無視するなんてあいつは性格が悪いやつだ、という思いを書き出したとすると、相手は本当に自分を無視しようと思って無視したのかはわからないし、悪意があったかどうかもわからないし、相手は本当に純度100%の悪なのかどうかもわからないということに気がつく、本当はよくわからないものを自分が勝手に決めつけて思い込んで虚像を作り出してその虚像=自分の思い込みを攻撃して自分が自分を苦しめていることに気づく。
相手が自分を苦しめているのではなく、自分が自分を苦しめていることに気づく。
相手が自分を苦しめようとしているかどうかはよくわからないが、自分が自分を苦しめていることは間違いないことに気づく。
思い込みに気づく練習を重ねていくと、次第に進行形でこれも思い込みでやんすかーと気がつくことができるようになる。
あの子はおれのことが好きなんだ、ってことはあんなこともこんなこともしていいんだ、とストーカー的思考パッターンから離れることができるようになる(何かについて入念な確認もせずに思い込むことはストーカーと同じことでつまりそれは恐ろしいことなのであーる)。
結局全部自分の思い込み、解釈、推測。
なるほど。
声出して切り替えていこうと思う。