おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

平凡は重要

安定しているうちはそれを維持しやすい。 兆しのあらわれないうちはそれを処置しやすい。 もろいうちはそれを溶かしやすい。 かすかなうちはそれを消しやすい。 だから、まだなんでもないあいだに問題を処理し、まだ混乱にならないうちに事態を秩序づけておくことだ。

 

ものごとは大事に至らない微小なあいだにうまく処理すべきである。

金谷治老子

 

物事は放っておくと乱れていく。

 

汚れていく、埃がたまっていく、カビが生えてくる、疎遠になっていく、ゴミがたまっていく、淀んでくる、問題が起きてくる。

 

だから乱れたらその乱れが小さいうちに整えてあげる。

すると楽勝で対処することができるので、大事になることはない。

 

また、整った状態に慣れていると、小さな乱れに気がつきやすくなり、それに対処しやすくなる。

 

部屋をきれいにしていると、小さな汚れが生じた場に合気がつきやすくなるし、ゴミ屋敷にいると新たに生じた小さな汚れに気がつきにくくなる。

 

日常生活全般において「整える」ことを心がけていると、整った状態を基準として持つことができる。

 

そしてその基準を持つことができれば、乱れている状態にも気がつきやすくる。

 

そして何かが乱れていることに気がついたら、その乱れがまだ小さい内にもとの整った状態に戻してあげればいい。

 

掃除をする

洗濯をする

使っていないものを捨てる

皿を洗う

ものを片付ける

髪を切る

爪を切る

身体を洗う

歯を磨く

靴を磨く

運動をする

瞑想をする

人と話をする

人の話を聞く

 

これらのことに共通していることは「整える」ということだろう。

そしてどれも「平凡」ということだろう。

 

物事は何もしないとどうしようもなく乱れていく。

 

整えることを怠ると物事は乱れっぱなしとなり、何らかの大きな不調、何らかの大きな問題が確実に起きてくる。

 

よって、私たちは「乱れたら整える」「乱れる前に整える」ということを繰り返す必要がある。

 

しかも「整える」という営みは特別な資格がないとできないような特殊なことでは全くなく、誰もができるような至極平凡で地味なことだ。しかも特に金もかからない。

 

これは我々自称大人が見逃してる人生や日常の原則、本質みたいな感じのニュアンス的な雰囲気のものだ。

 

「整える」という営みは至極平凡で金も特にかからない(時間や労力はかかる)。

 

その平凡なことを怠らなければ、自分も自分の日常も自分の人間関係も整い続ける。

(時として一時的に乱れることはあるかもしれないが、整え続けるわけだから最終的には整う)

 

整える習慣が身について整った環境を自分で生み出せる状態になり、実際に整った環境にいる人は幸福だろう。

 

そのような人は平凡なことしかやっていないのだけれど幸福で、ある意味で非凡だとも言える。その人は平凡の塊なのだけれど実質非凡。

 

私たちの多くは平凡なことを怠り平凡なことを軽視し、非凡なことにしか眼中になく、誰もが「私は非凡なんだ」と張り合い、その結果、乱れ、争い、不幸を生み出し続けるだけだからな。

 

人生において「整えること」は絶対に必要で、それは極めて地味で平凡。

そしてそれは誰もができることなのに多くの人がやらない。

重要な平凡なことを無視して、どうでもいい特別なことを追い求めている。

 

声出して切り替えていこうと思う。