私の日常生活における問題の一つとしてスマホ中毒というものがある。
私にとってのスマホの理想的な使い方は、使いたい目的がはっきりしている時にのみ自発的にスマホに手を伸ばすという使い方だ。
例えば、これから筋トレをするから筋トレ動画を再生するためにスマホに手を伸ばす、これから家賃を振り込むためにスマホに手を伸ばす、これから航空券を予約するためにスマホに手を伸ばす、これから会社の宴会に適した居酒屋を探すためにスマホに手を伸ばす、これからふるさと納税をするためにスマホに手を伸ばすみたいな感じのニュアンス的な雰囲気で、まずは己のがらんどうの脳髄にスマホを使いたい明確な目的が浮かんできて、それからその目的のためにスマホを使い、その目的が達成されたらスマホを手放す、というのが理想である。
だが現実はどうかというと、特段の目的もなくただただ惰性で触ってしまっている時がある。
この理想と現実とのギャップが私にとっての当面の課題であり、これを何とかしていきたいどすなー、と京都出身でもないのになぜか京都風に考えている。
・メールとLINE以外の通知は全てオフ
・スマホは常にミュート設定
・SNSはtwitter以外やっておらず、twitterのアプリは入れていない
・Youtubeアプリは入れていない
・amazonや楽天市場等のショッピングアプリは入れていない
・ゲームはやらない
・出勤時や軽めの外出時はスマホを携帯しない
・寝る時はベッドから離れたところに置く
数年前に『デジタルミニマリズム』という本を読み、すでに上記の対策をしているにも関わらず、やっぱり惰性で触ってしまう時がある。
スマホを惰性で触っている時間というのは基本的に無駄だし、結果的にあまり気持ちの良いものではない。
スマホに夢中になっていてふとスマホを置いた時に、何やっちゃってんのよ、おいどん、と自分で自分に嘆息してしまう。
スマホ中毒になってしまうと、生活リズムが乱れる、幸福度が下がる、集中力が下がる、姿勢が悪くなる、時間とお金の浪費が加速する、会話力が下がる、自制心が下がる等の不利益を被ることになる。
あまり気持ちの良いものではないにも関わらずやってしまう。悲しいけど、これが中毒っちゅうもんなんだよねー。
中毒になってしまうのも仕方がないと言えば仕方がない。
なぜなら、スマホというデバイスは世界中の天才・秀才たちが莫大な資金と労力と能力を使っていかにして人々に長くスマホに触らせ続けるか、いかにして人々を特定のプラットフォーム上に長く留まらせ続けるかをがらんどうの脳髄をフル回転させながら作り上げているものであり、常にその手法は試行錯誤され続け、常に向上していっているからで、私のような意志薄弱な人間が容易にコントロールできる代物ではないからである。
だからと言って、今後もスマホを惰性で使い続けて膨大な時間と労力をドブに捨て続けるのは嫌だし、スマホを完全に手放すのも無理がある。
やはり何らかの対策を講じて、スマホとは適度な距離を保っていくしかない。その距離が近すぎると絶対にスマホに飲まれるし、遠すぎると確実に生活に支障をきたす。
上記のような対策をすでに打ってはいるが、さらにそれらの内のいくつかをより明確にしたり、新たな対策を講じたりする必要があるのかもしれへんどす。
【平日】
・朝起きてから出勤するまではスマホに触らない
・職場にスマホを持っていかない
・帰宅したらメールとLINEの通知の有無のみを確認する
・夕飯の支度時〜片付け時のみYoutubeの音声を聞く
・皿洗いが終わったら、スマホは充電器に差し込み、以降は翌日まで使わない
【休日】
・朝起きてから4時間以内はスマホを触らない
・家事中はYoutubeの音声を聞くこと可能
・極力外に出るようにし、遠方への外出でない限りスマホは携帯しない
・スマホを携帯する場合であっても、スマホはポケットの中には入れず、カバンの中に入れる
・スマホを携帯した時に時間を持て余した場合は、何もせずにぼさっとするか、本を読む
・帰宅したらメールとLINEの通知の有無のみを確認する
・夕飯の支度時〜片付け時のみYoutubeの音声を聞く
・皿洗いが終わったら、スマホは充電器に差し込み、以降は翌朝まで使わない
とりあえず、これらもスマホを取り扱う上での原則に加えていこう。
スマホを惰性で使ってしまう原因の一つは、何もやることがない時間が生じてしまうことだろう。1日が自分なりに有意義なルーティンで埋まっていれば時間を持て余すという事態は生じにくいと思うが、1日をぎっちりとルーティンで埋めるのもまた息苦しい。
時間に余白があることは良いことなのだけれど、私たちはその余白を何かをして埋めようとしてしまう。余白は余白として過ごすのもまたいいのかもしれない。スマホをいじるのではなく、特段何もせずにゆっくりとお茶でも飲んで過ごす時間というのもまた一興だろう。
と、ここまでつらつらと述べてきたが、実際にできるかどうかは別だ。
まずはやってみるか。