おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

少しずつやめていきたいこと

自分が何気なく送っている日常生活を振り返ってみて、少しづつ、減らしていきたい、やめていきたいことを書き出していこう。

 

1 飲酒

以前は友人と会う時くらいしか酒を飲むことはなかったのだけれど、気がつくと毎週末に一人で飲むことが多くなっていた(ストレスが溜まっているのかしらん)。

量としては金曜日の夜に一杯飲んだり、土曜日の昼間に居酒屋で一杯飲んだり、その程度ではあるが、それでもやはり実感するのは、酒を飲まないほうがぐっすり眠れて、次の日の体調がすこぶる良い。

酒をゆっくりと飲むあの時間はとても良いものだが、やはりそれなりの代償はある。酒を飲むのは誰かと楽しく過ごす時に限り、それ以外の時は、最強の飲み物である水で晩酌することを原則にしよう。

 

2 スマホ

何らかの音声を聞きながら、家事をしたり、食事をしたり、靴を磨いたりすることが多いので、部屋の中で活動する時にYoutube音声がないとどことなく落ち着かなくなってしまう。これはある種の中毒とも言えるかもしれない。音声を聞きながら何かをやるというのはある意味では時間の節約にもなるかもしれないが、何かをやる時に音声がなければ落ち着かない、静かな状況だと何かに取り組めないというのはこれはこれで問題だろう。また何の目的もなく惰性でスマホを触ってしまうこともまだ多いので、スマホを触る目的を明確にしたり、スマホを触る時間を決めたりして、今一度スマホとの付き合い方を見直していく必要がある。

 

3 ポルノ

性欲との付き合い方も考えていく必要がある。周囲の話を聞く限り、私は性欲があまり強い方ではないようだが、あるにはある。その性欲を整えるために当然のごとくポルノのお世話になっていたが、諸行無常の理が支配するこの広大無辺な世の中にはポルノ中毒というものがあり、ポルノ中毒になってしまうと、過剰な刺激がなければ整わないようになってしまい、いざ本番という時に機能不全になってしまうこともある。それは自分にとっても相手にとっても残念なことでごわす。自分で整える際は、ポルノではなく、ジョン・レノンばりの想像力を行使することを原則にしていきたい。

 

4 残業

今年度に入り、昨年度から業務量が激増し、それにともない残業時間も増大したのだけれど、最近ようやく業務も落ち着いてきて体制も落ち着いてきて、定時で帰ることができる日が多くなってきた。平凡な日常生活を送れる分だけの収入がある限り、お金よりも時間のほうがやはり価値がある。今一度、残業しないことを前提で業務に臨む必要があるな。

 

5 有給月1回縛り

私は有給休暇を月1回のペースで取るようにしているが、その意識がいつの間にか変質し、「有給は月1回まで」という縛りになってしまっていることに気がついた。ありがたいことに私の職場では年に20日分の有給休暇が補填され、最大で40日分を保持することができる。年度初めに有給休暇を40日分保持した状態で(今年度の私だ)、月に1日ペースで有給を取得した場合、年度末の持ち分は28日分となる。そして次年度に20日分が補填され、有給休暇の保持日数が48日になればいいのだけれど、最大保持日数は40日なので、8日分は雲散霧消してしまう。私は仕事自体は全く苦ではないのだけれど、もったいないと言えばもったいない。よって、有給休暇は月1回ペースではなく、年に20日以上を消化することを意識していこうと思う。自分の休みが増えることにより、自然と時間的な制限が加わり、業務を効率化せざるを得ない状況が生まれ、結果、諸々の業務がより簡素化されるかもしれへん。

 

6 ジャンクフード

これも一時期は一人ではほとんど食べていなかったが、気がつくと週に1〜2回のペースでスナック菓子や菓子パンを食べるようになっていた。間食自体を絶対にしないというわけではなく、訳の変わらないものや糖質が多く含まれているジャンクフードを食べることが常態化すると、体に余計な負荷をかけて体を大事にできなくなる。ジャンクフードを絶対食べないというわけではなく、極力避けることを改めて心がけていきたい。ジャンクフードの代わりにチーズかナッツかハイカカオチョコレートが良さげだ。

 

以上のことを心がけていきたいわけだが、実際に実践できるかどうかは別だ。

 

私たちは、「わかってるのであればできるはずだ」、「できないということは本当はわかっていないということ」という誤った発想をもっている。頭ではわかっていても実際にはできないことはたくさんある。「わかること」と「できること」は別だ。その二つを結びつけようとするから苦しみが生じる。

 

頭ではわかっていることをやろうとすると、そのことができない自分が知らされることが多々ある。人ができなければそんなこともできないのかと非難している自分が、いざ同じことをやろうとすると自分もそれを当たり前のように気持ち良くはできないことを知らされることが多々ある。例えば挨拶とか早起きとか貯金とか。

 

自分にとって理想的な何かをやろうとして、できない自分が見えた時、つまり都合の悪い自分、無能な自分、弱い自分、醜い自分、卑怯な自分、そういう自分の現実が見えた時、私たちはそういう都合の悪い自分を見ないために、始めに掲げた理想的な何かをやらなくてもいいものだ、という風に正当化してしまうことがある。

 

スマホを惰性で触ることは良くないとわかっていても、ついつい触ってしまっていた場合、意志薄弱な自分だなーと情けない自分を受け入れる代わりに、世の中は高度情報化社会であるが故にスマホは触ってなんぼでござる、寸暇を惜しんでネットの海をさまよい続けることにより有益な情報をつかめるチャンスが増大し、その情報により年収8000億円になり、それをもって圧倒的な優越感を得て、他人を見下しながら幸福に生きることができる可能性はゼロではなくはなくなくない?よってスマホを惰性で触ることは素晴らしいことなのであーる、ということを私もやってしまうのだろう。

 

とにかく、上記6点を心がけていくことにした。

 

都合の悪い自分が見えてくること、そしてそういう自分を見ないようにするために何かと正当化したがる自分が見えてくること、以上2点を楽しみにしておこう。