おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

何のための手間なのか

それからも慎吾は丁寧にひげを剃り、肌のケアを続けた。何に勝ちたいのか定かではない負けん気が頭をもたげたのと、自分自身にかけるささやかな手間が楽しくなったから。その時だけでも、よし、と思える。化粧水をたっぷり取った手のひらを顔に押し当てると、じゅわっとした感覚や冷たさが心地いい。化粧水の成分以外のものも染み込んでいく気がする。ほっとする。

一穂ミチ『スモールワールズ』

 

何かをやる時に、それは自分を大事にするためなのか、あるいは人を見下すためなのかで、その後の精神状態は大きく異なってくる。

 

例えば、自分の肌は大事だから肌をケアしているのか、美貌を根拠に他人を見下すために肌をケアしているのか。

 

どちらにしても肌が綺麗になることはなるだろうけれど、前者の場合は自分の注意が自分自身に向いていて、自分が自分自身に対して温かい気持ちを起こしている。だからほっとする。

 

この場合、自分を整えるための「ささやかな手間」が温かな安心感や心地よさをもたらすため、楽しくなる。整えるプロセス自体が楽しくなる。

 

一方、後者の場合は、人からどう見られるか、人から見られる自分のイッメージ、人にアッピールしたい自分のイッメージに自分の注意が向いており、人から見下されたくない、人からバカにされたくない、あわよくば人から評価されたい、優越感を得たい、人を見下したい、と思っていて、自分の注意が他人に向いていて、こんな自分だと人から見捨てられる、というように、自分自身が自分に対して否定的な思いを起こしている。だから、どんなにケアしても、不安や恐怖や強迫観念は解消されない。

 

何かをやる度に、こういう自分じゃないといけない、ああいう自分じゃないといけない、こんな自分はダメ、というように自己否定が生じて苦しくなる。

 

他人にアッピールしたい自分のイッメージ、つまり結果が出るまで、整えるプロセスは苦しいままだ。

 

一般的に努力が苦しくて続かないのは、その根幹に「こんな自分はダメだから」という自己否定があるからだろう。

 

そして、どんなに努力をして結果を出しても不安や恐怖や強迫観念が消えないのは、何かをやる際の根本的なモチベーションが、他人を見下して優越感を得ることにあるからだろう。

 

自分を大事にしていこうという思いでやっているのか、こんな自分はダメだ、他人を見下せるようになるにはもっとこうじゃないといけないという思いでやっているのか。

 

化粧水を肌に染み込ませている時に、いやー、気持ちいいどすなー、という感情だけなのか、これによって私の肌はきれいになり、それをもってして他人を見下すことができるざます、という思いが湧き起こってくるのか。

 

それは自分自身にかけるささやかな手間なのか、他人にアッピールしたい自分のイッメージにかけるささやかな手間なのか。

 

諸行無常の理によって他人を見下すための努力はいずれ苦しみをもたらすことになるため注意していく必要がある。

 

声出して切り替えていこうと思う。