おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「床掃除は拭き掃除から」ということをようやく知った

私の床掃除の順番は以下のとおり。

 

①ほうきで掃き掃除

クイックルワイパー(もしくはウェーブ)で拭き掃除

 

布団やマットレスなどベランダに出せるものは出してしまい、部屋をほとんど空っぽな状態にして、床全体の埃やゴミをまずは外に掃き出す、それから拭き掃除をする、という流れだ。

 

しかしながら、先週末は土日共に雨であったため、いつもであれば外に出すことができるものを出すことができずいつものように掃除ができなくなった。

 

掃除をしないというのは気持ちが悪いので、今週は拭き掃除だけで済まそうということになり、家具や布団を適宜動かしながら、クイックルワイパーで拭き掃除を行ったのだけれど、実際のところそれだけで充分に楽勝で埃が除去され、充分に綺麗になった。

 

以前、近所の図書館である本に、多くの人が「掃き掃除」→「拭き掃除」が正しいと思っているけれど、実は「拭き掃除」→「掃き掃除」のほうが効率的というものを読んだことがある。

 

読んだ時に「ほーん」と思ったにも関わらず、実生活では全然実践しておらず、「やっぱ男は黙って掃き掃除からの拭き掃除っしょ」と自分の正しさに執着し、有益な情報を自分の都合で捻じ曲げてしまっていた。

 

確かにはじめに掃き掃除をやってしまうと埃がもんもんと舞い上がる(それが布団に付くのが嫌で先週は掃き掃除をためらったのだ)。

 

そして拭き掃除をする。

 

拭いてきれいになった床の上に舞い上がった埃が諸行無常の理によって舞い降りる。

 

確かに効率が悪い。

 

それよりも、埃が床にある時にその大半を拭き取ってしまい、拭き取れなかったものを掃くほうが、確かに効率的だ。

 

拭き掃除をした後の埃は水分を含んでおり、ふわふわと舞い上がることがないので、拭き取れなかった埃は手で拾ったりしてもいいし、ほうきで掃いてちり取りに入れるのも楽だ。

 

これまでの私の掃除は何だったのか。

どれほど非効率だったことか。

 

自称正しい私の完敗である。

 

自分が思っている「正しさ」というのはやはり自分の思い込みの域を出ない。

自分の単なる思い込みに執着し、それ以外のあり方はありえないぽよ、となってしまい、間違っているかもしれない自分から目を逸し続けると、ろくに掃除もできなくなってしまう。

 

多くの時間と労力を無駄にしてしまう。

 

反省して来週からは拭き掃除をした後に掃き掃除をしていこう。

 

声出して切り替えていこうと思う。