おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自分の絶対領域

私の母は60代にしてもう上の歯がなく、入れ歯になっている。

 

それはなぜかと言うとこれまで歯を大事にしてこなかったからで、諸行無常の理によってこの世の全てのものは最終的には失うことにはなるが、大事にしていないとすぐに朽ち果ててしまう。

 

私をはじめ、家族は母に健康な歯を長く保っていてもらいたいと思うが、実際に歯を大事にできるのは母自身だ。

 

世界中の人間がどんなに温かい気持ちで母の歯の健康を祈り、気遣ったとしても、母本人が日々歯のことを気にかけ、歯磨きを習慣にし、歯をきちんと磨き、フロスをしたり、口内洗浄をしたり、定期的に歯医者に行かなければ、どうしようもない。

 

自分の歯を誰よりも大事にできるのは自分しかおらず、その自分が心がけて実際に動かなければ歯は大事にできない。そういう意味では自分の歯は自分の絶対領域と言える。

 

(もちろん、暴力的に拘束し、無理矢理口をこじ開け、誰かが歯を磨くということもできるかもしれないが、自分の主体性が皆無あるいは極めて希薄であるためそういうのは違う)

 

もちろんそのような絶対領域に属するものは歯だけではなく、歯以外の身体箇所、精神、心もその領域に属する。

 

そこに属するものについて注意を払ったり、何か異変に気がついたり、異変に対処したり、ケアしたりできるのは基本的に自分しかいない。周囲の人間や神や仏がどんなに大事にしたいと思っていたとしても、自分が大事にしなかったらガチのムチでもともこもない。

 

自分がどんなに我が子を大事に思っていたとしても、その子が自傷行為をしてしまってはどうしようもないだろう。

 

自分のことは本来自分が率先して大事にするべきなのに、これは他人が大事にするべきぽよ、と自分が自分のために動かない口実を作り出していないか。

 

自分の歯は本来自分が率先して磨くべきなのに、自分の歯は他人が磨くべきぽよ、と自分が自分の歯を磨かない口実を作り出していないか。

 

自分を大事にできるのは自分しかないということがわかり、自分が自分を大事にするために気持よく動くことができるようになったら、自分の心身も自分の身の回りの物事も整いやすくなってくる。

 

不快な思いをしても自分で自分を慰めたり、励ましたりすることができるし、日常的に体のケアを行うようになるし、掃除や洗濯や炊事も気持よくこなせるようになる。その結果、たとえ一時的に乱れるようなことはあっても、心身は自ずと整うし、身の回りの環境もすっきりとしていい感じになる。

 

自分の絶対領域のことを人任せにしようとしていないか、人がやって当然だと思っていないか、定期的に要チェックどす。