おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

新NISAについて考えるか

諸行無常の理によってもう10月だ。

 

2024年から新NISAが始まるらしく、現在NISA制度を利用している私も今後どうしていくかを考える必要がある。

 

私は現在、楽天証券のNISA口座にてインデックス投資をしており、新NISA口座は自動的に作られることになっているため、現在の積立設定のまま新NISA口座での積立が始まる。

 

ただし、別の証券会社にて特定口座も利用しているので、それらを整理して、いずれは新NISA口座に統合していきたい。

 

まずは特定口座での積立を一旦中止し、楽天証券の新NISA口座に集中させた方が良さそうだ。それから新NISA分の非課税枠を使い切ったところで、他証券での特定口座における積立を再開すれば良い。

 

積立投資は1回設定してしまえばすごく楽で、かなり堅実だ。私にとってはもはや投資というよりは預金の亜種のようなもので、設定後はほぼ放置。月に1回資産状況を確認する程度。おかげで楽勝で続けることができているし、今のところ資産は増えているし、とてもありがたい。

 

その一方で、金をどんなに貯め込み、その金額をもって自分を定義し、誇ったとしても、そのお金自体は自分そのものではないし、いずれこの世を去る時に全ては手放すことになるため、その誇りや驕りは一時的な高揚感でしかない。最終的には無一文になるのだから、自分よりもお金のない人を見下してきた分、自分が実際に無一文になった際の苦しみは大きくなる、みたいな感じのニュアンス的な雰囲気っぽいこともわきまえておく必要がある。

 

資産額そのものよりも、使うものだけで生活する生活、ものが一定の生活の方が価値がある。それは整理習慣(使わないものは捨てる習慣)のおかげだ。結果や実績ではなく、自分を大事にするための習慣そのものに価値がある。

 

整理習慣のメリットの一つとしてお金が貯まりやすくなるというのがあるが、整理習慣の目的はお金を貯めることではないし、ましてや自分の資産額をもってして他人を見下すことでもない。

 

整理の目的は、使わないものに自分の時間や労力やお金を割かないようになること、自分は自分の時間や労力やお金を無駄にする側面があるということを知ること、無駄に慣れること、どんなに大事にしていても永遠に自分のものにできるものはないということを実感すること、死んだ時から所持していて死んだ後も持っていけるような本当に自分のものと言えるものはこの世に存在しないということを知ること、全ては一時的で、全ては借り物であるということを実感することにある。

 

整理というのはある種の修行だ。

 

修行もNISAも淡々と続けていこう。