おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

ずっとやり続けていくことを大事にしていく

先日、諸行無常の理によって実家の犬が死んだのだけれど、悲しみを感じつつも、やはりな、という感じもした。少し前に実家に帰った時、愛犬はもう一日のほとんどを寝て過ごしていたし、触れると骨と皮だけで、その痩せ具合が手に取るようにわかった。

 

その一年前であれば、私が帰ってくると駆け寄ってきていたし、朝になると1階の母の部屋を飛び出し(奴は母の部屋で寝ることになっていた)、2階の私の部屋まで駆け上がってきて、部屋のドアをガリガリとやり、私を起こして、ドアを開けると部屋に入ってきて、二度寝する私とよく寝ていたし、散歩にも楽勝で行くことができていたのだけれど、今回帰った時はそういうのはもう何もなかった。

 

愛犬がしていたことと言えは、寝て、飯を食って、排泄をするだけである。

 

そして結局のところ、それだけきちんとできれば十分なのだ。

 

私たちの生活の基本は寝ること、食べること、排泄することだ。

 

これら3つは生まれた時から死ぬ時まで生きている限り必ずやり続けていく。

 

学校を卒業したから、結婚したから、会社を定年退職したから、金持ちになったから、権力を手に入れたから、そんなものとは関係なく必ずやり続けていかなければならない。どんなに自称低俗な人間であっても、どんなに自称高尚な人間であっても、生活の根本は私の実家のしがない老犬と同じである、というのが面白い。

 

睡眠、食事、排泄は是が非でも死ぬまでやり続けるものなのだから、無論大事にしなくてはならない。何よりも重視しなくてならない。

 

気持ちよく眠ることができるように、部屋を片付ける必要がある。部屋を掃除する必要がある。寝具を整える必要がある。寝具を清潔に保つ必要がある。部屋の明るさや騒音や温度に気を配る必要がある。寝る前にスマホやPCを見過ぎない必要がある。寝る前にストレッチや瞑想を行ってもいいかもしれない。

 

気持ちの良い食事ができるように、自分で食材を選び、自分で料理を作る必要がある。ジャンクフードを避ける必要がある。台所をきれいに保つ必要がある。調理道具を揃えて、整える必要がある。歯の健康を維持する必要がある。食料を手に入れるためにある程度は働く必要がある。食べ物や栄養の知識をある程度学ぶ必要がある。一緒に食事をして心が落ち着く人を見つける必要もあるかもしれない。

 

気持よく排泄ができるように、トイレはきれいで、清潔にしておく必要がある。便秘にならないように、野菜を多めの食事に心がけたり、発酵食品を摂取したり、適度な運動を行う必要がある。トイレにお気に入りの芳香剤を置いたり、お気に入りのトイレットペーパーを配架するのもいいかもしれない。

 

睡眠と食事と排泄という日常生活の根本中の根本、人生における活動の根幹中の根幹を大事にし、それらを整えていくことを心がけていけば、何をやるべきかは自ずと見えてくる。そしてそれらは睡眠、食事、排泄という人間活動の根幹を大事にすることと結びついているので必ず価値がある。そういう価値のあることをきちんとやっているので自ずと自信にも繋がってくる。そして、睡眠や食事や排泄を整えるために必要なことは至って平凡なことであり、誰もができることでもある。動物は楽勝でやっているのではないかしらん。

 

だがしかーし、私たちはそういう根本的なことを疎かにして、いかに人よりも優越感を得られるかを重視し、自分の優位性を示すことができる何か価値あるものを手に入れようとすることを最優先事項にしてしまう。

 

人には真似のできない特別なことでなければ価値を見出すことができないので、平凡だけれど根本的に大事なものの重要性に気がつくことができずに、その結果、生活を乱すことに注力してしまう。あるいは、自分の優位性を示すことができないとなると、そういう劣等な自分はどうでもいいとして、生活を整えることを放棄するか、不甲斐ない自分を見ないために欲に没頭し、日常生活の乱れは放っておかれたままになってしまう。

 

実家の愛犬は、睡眠と食事と排泄、それらを整えるための関連活動のみで充足していた。富や権力といった価値をかき集め、私はこんなにも価値のある存在なんだとアッピールすることなしに、家族から大事にされていた。これはすごいことだ。

 

愛犬から学べることは多い。

 

以上です。