おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

余裕に慣れていないと余裕を持てない

私たちは誰もが余裕を持って暮らしたいどすと京風に思っているのだけれど、余裕を持つことはなかなか難しい。

 

それはなぜかと言うと、私たちは余裕ができると、余裕に慣れていないために不安になり、その余裕を積極的になくそうとするからであーる。

 

下駄箱がガラガラだと、どことなく物足りないような気がしてくる。そして、実際に履き回している靴は3足程度なのに、不安解消のために余分な靴を買い漁り、下駄箱をぎゅうぎゅうにする。

 

冷蔵庫に空きスペースがあると何となく物寂しい感じがしてくる。食料が足りなくなったらどうないしよー、と関西人でもないのに関西風に不安になる。そしてその不安解消のために食料をとりあえず買い増しし、冷蔵庫を余分な食料でパンパンにしておく。

 

本棚が端から端まで、上から下まで埋まっていないとなんだか気持ちが悪い。本棚は本でびっしり埋めて、おれはこんなに知的で価値のある人間なんだぜベイビーと他人に誇示し、自分に酔いしれることができてこその本棚だ。それができないというのはまじでやべー。この不安を解消するため本を買い漁り、読みもしない本で本棚をいっぱいにする。

 

お金を持て余していると、どことなく使わないともったいないような気がしてくる。落ち着かなくなってくる。そして、どうでもいいことにお金を投じる。

 

何もやることがない暇な時間があると、何か生産的なことをやっていないともったいないような気がむくむくとしてきて、やることを無理くり見つけ出したり、予定をぎちぎちに詰め込んだりする。

 

このように私たちは必死に余白を埋めようとするし、余分なお金や時間があると是が非でも何か自分にとって生産的なことをしなくてはいけないという強迫観念にかられてしまう。

 

本当に使うためではなく、不安をかき消すために余分なモノにお金と時間をつぎ込み、自由に使えるお金と時間が手に入ったら入ったで、何もしないことに耐えられず無理矢理何かをするために是が非でも使おうとする。

 

私たちは余分なスペースを余分なスペースとして放っておくこと、お金や時間を何かに使わずに放っておくことに慣れていない。

 

つまり、私たちは余裕に慣れていない。

そして、余裕に慣れていないと、余裕を使い果たしてしまい、当然余裕がなくなってしまう。余裕が持てるわけがない。

 

逆に言うと、余白や余裕に慣れれば、余裕を持てる。

 

余白や余裕に慣れるにはどうすれば良いのか。

 

① 空間をモノで埋めないようにし、余分なスペースがあることに慣れる。

② 予定を詰め込まないようにし、何もやることがない時間をただただぼさっと過ごす。

 

①のためには、実際に使う頻度の高いモノだけを手元に残すようにし、使っていないモノは手放していく。実際に使うことのできるモノの量というのは非常に限られているので、自然とモノが減り、空間に余白が生まれてくる。そしてその余白がある状態でただただ過ごす。

 

②のためには、意識的に何もやらない時間を作ると良い。寝る前に10〜15分ほど時間を作って、暗く静かな部屋で目を閉じてじっと瞑想するのが良い。

 

これらを通じて空白と暇、つまり余裕に慣れてきて、余裕を余裕のまま保持することができ、余裕のある日々を送ることができるっつうわけだ。

 

これらは私の発想では決してなく、仏教の発想だ。

 

仏教まじでやべぇ。