おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「へん=非常識」を排除しようとする癖が苦しみをもたらしてしまう

 「へんじゃない」は「自分はへんじゃない」という理由だけで、「へん」という「もう一つ別の立場」を公然と排除してしまう。その結果、「へんじゃない=自分=正しい」の一つだけになって、自分を検討するために存在するはずの批判的な視点をなくしてしまうのである。

 それはつまり、「自己批判」という名の客観性が確保できなくなるということで、だからこそ多数派は、たやすく硬直に傾いてしまう。傾いて、そのままズルズルと立て直しができなくなる。

 

「へんじゃない」の多数派を代表するものは「常識」だが、「常識」というものは、自分がひっくり返されることがあるなどとは、夢にも思わないものである。しかし、その「常識」だって、いつかは硬直してしまう。「自分はへんじゃない、へんじゃない」といい続けていれば、いつかは、そのこと自体が「へん」になるからである。

橋本治「「わからない」という方法」

 

「へんじゃない」ということは言い換えると、常識的ということになる。

 

わたしたちは自分のことを「常識的=正しい」と思い、一方で自分の「非常識=間違っている」に該当する人を責め立て、排除する傾向がある。

 

常識的に〇〇するのが普通だ。

常識的に〇〇しないのが普通だ。

 

〇〇する(〇〇しない)あいつは非常識だ、間違っている。

だからみんなで寄って集って傷つけてもいい。苦しめてもいい。

 

テレビやネットでは、自称「正しい」と自負している人が、「非常識で間違っている」とされている人を「正しさ」という名の下に徹底的に叩き潰そうとしている光景を容易に目の当たりにすることができる。

 

そこには自分の正しさは揺らぐことはない、自分が間違うことは絶対にありえないという前提があり、その前提に仁王立ちした上で、非常識で間違った人を排除しようとしている。

 

そうすることはもちろん個人の自由なのだけれど、仮に自分が100%正しくて、相手が100%間違っていたとしても、相手のことは責めないほうがいい。

(まぁ、ついやってしまうのだけれど・・・)

 

それは相手のためにではなく、自分のためにだ。

 

間違っている人を責めたり、馬鹿にしたり、攻撃したり、否定したり、排除したりすると、間違っている人を責めたり、馬鹿にしたり、攻撃したり、否定したり、排除する癖がついてしまう。

 

そしてその癖は、諸行無常の理によって自分が「非常識で間違っている」となった時に、自己否定や自己嫌悪となって自分に襲いかかってくる。

 

自分が日頃から、「非常識で間違っている」とされている人を容赦なく排除しようとしているからこそ、自分が人から「非常識で間違っている」とみなされることに耐えられない。

 

自分が「非常識で間違った」他人を容赦なく排除しようとするからこそ、他人も自分を容赦なく排除してくると思ってしまうからだ。

 

だから、人から「非常識で間違っている」と思われることが怖くなる。

 

人から「非常識で間違っている」と思われていないか不安になる。

 

人から「非常識で間違っている」と思われないように、常識に縛られ、硬直する。

 

自分の非常識で間違っているところを見たくないので自己批判することができず、硬直する。

 

「非常識で間違っている」他人を排除しようとすることによって、自分は「常識的で正しい」ということをアッピールしようとする。

 

そして、間違っている人を排除しようとする癖をますます強化してしまう。

 

そしてこの癖が不安や恐怖や自己否定や自己嫌悪を生み出し続けてしまう。

自分に苦しみをもたらし続けることになる。

 

よってこの癖から離れることができれば、不安や恐怖や自己否定や自己嫌悪は格段に減る。

苦しみは格段に減る。

 

そして心が一気に落ち着く。

(これは個人的な経験上、ガチだ)

 

この癖から離れるためには、まずはその癖に気がつき自覚的になる必要がある。

 

私たちにとって、非常識な人間、自分にとって不都合な人間を攻撃することは息を吸うようにごくごく自然なことになってしまっているからな。

 

そして、目の前に非常識な人間が現れてつい責め立ててしまった場合は、あー、やっちまったなたー、と反省し、つい責めてしまう自分を寛容に受け入れていくことが必要になる。

 

癖は癖なのでつい攻撃してしまうのは仕方がないが(攻撃してしまうことを正当化するわけでは決してない)、自覚的である分、攻撃に抑制がきくようになる。

 

人を排除しようとすると自分に苦しみがもたらされることになる、このことを理解し、非常識な人間や自分にとって都合の悪い人間を排除しようとする癖に自覚的なる。

 

そうすると、それまでの、こんな非常識なやつはどんなに責め立ててもいいんだ、傷つけてもいいんだ、徹底的に排除することが正しいんだ、これは正しいことなのだからどんどんどんどんどんどんどんどん攻撃するべきなんだ、うおー、気持ちえぇーー、「正しい自分」というもの感じることができて気持ちえぇーーー、という思考パッターンがだんだんと変わってくる。

 

声出して切り替えていこう。