おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

整理のお陰でやっぱり資産が増えた

昨日、今年最後の資産チェックを行った。ありがたいことに、前年度より資産は増えていた。

 

特に今年は一昨年や昨年と比べて増加額が約倍増しているのだけれど、世界経済的に何か起こったのかしらん(テレビ、新聞、ネットニュースを見ないためよくわからないが)。

 

私自身の日常生活における支出は特に変わりがないはずで、残業も昨年より減っているため収入はむしろ減っているかもしれない。これがインデックス投資複利の力なのか、世界的に景気が良くなったのか真相はよくわからないが、勢いよく増えたものは勢いよく減っていくものでもあるので、あまり気にしないことにしよう。

 

資産は確かに増えたのだけれど、その分私の価値は上がったのかというとお金の価値と私の価値は関係がない。お金が増えたからと言って私の世界の見え方が変わるわけでもない。また、私がやることも特に変わっていない。お金が増えたからといって、飯を一度に100人前食べられるようになるわけでもないし、スマホを一度に50台使いこなせるようになるわけでもないし、本を一度に70冊も読めるようになるわけでもない。旅行にも同時に複数の場所に行けるようになるわけでもない。同時に何人もの人々ときちんと人間関係を構築し、仲を深めることができるわけでもない。

 

欲しいものはちゃんと買うし、やりたいことはちゃんとやるが、どんなにお金が増えても、私が一度に使うことのできるものの量は限られているし、私が一度にできることの量は限られている。金の有無に限らず、一つ一つ使って一つ一つやっていくしかない。

 

おそらくそこを見誤ると、無尽蔵にお金を使ってしまい、一向にお金が貯まらない生活に嵌まり込んでしまう。

 

あれも欲しいぽよ、これも欲しいぽよ、あれも必要ぽよ、これも必要ぽよ。たしかにそうかも知れないので、そう思ったら買うといい。しかし、それはまだ想像の域を出ていない。妄想の域を出ていない。概念遊びの域を出ていない。

 

欲しいものは買って、必要だと思うものは買って、しばらくしたらそれらをきちんと使っているのかどうかを必ず確認する必要がある。

 

使っているのか使っていないのか。それは現実であるために白黒はっきりするだろう。

 

そして使っていないのであれば捨てる。手放す。そうして自分の想像、妄想、概念遊びがいかに現実離れしていたものであったのかを反省する。自分がいかに現実を見れていなかったのかを反省する。現実離れした想像、妄想、概念遊びの中で生きていたら金や時間がいくらあっても足りないことを反省する。

 

自分の部屋の中にある使っていないものの量というのは自分の物事の認識がいかに現実離れしているのかを表している。そういうものを早めに手放して、自分の現実(自分は何をどのくらいきちんと使うことができるか、自分は何をどのくらい大事にすることができるか)を見ることができるようになると、自分が使うことのできない量のものは買わなくなってくる。

 

そして、実際に自分がきちんと使うことのできるものの量というのは思っている以上に少ないために、しまいにはお金を使い切れなくなってくる。だからお金が自然と貯まってくる。

 

お金そのものにというよりは、欲しいとか必要とかではなく使っているのか使っていないのかに軸を置いている習慣や日常にこそ価値があるように思う。

 

強迫的に節約に勤しまなくてもお金が自然に貯まっていくというのは、使っているものだけの生活を送っていることの証左でしかない。

 

使っていないものは手放すという整理習慣にまじで感謝。