おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

身の回りの循環と躍動を意識する

先日、資産チェックを行った。

 

8月9月は諸々の出費が重なったことから資産額は楽勝で減るものだと思っていたが、全くもってそんなことはなく、むしろ増えていた。しかも結構増えていた。

 

それはひとえにインデックス投資のおかげで、私はニュース等を一切見ないので今日の経済状況については全くわからないのだけれど、まぁ、一時的にではあれど、調子が良かったのだろう。

 

資産額が増えて嬉しい気持ちがある一方で、資産額を自分の自信にすることの無意味さも感じている。

 

私たちは自分ではないものをかき集め、自分を定義しようとしている。

価値のあるものをかき集め、「価値のある自分」というイメージを感じようとしている。

そして必死にかき集めようとしているものは、自分ではないものであるために、諸行無常の理によっていずれ手放すことになる。

生きている内に自ら手放していくもの、どうしようもなく自分のもとを離れていくものもあるが、いずれにせよ死ぬ際に生涯をかけてかき集めたものは全て失うことになる。

 

お金、スキル、地位、名誉、財産、家、車、家電、家族、恋人、肉体、知識、権力、名声、服、本、家具、思い出、経験、若さ、美貌、などを私たちはかき集め、握りしめ、自分のもとから離れないようにネバギバの精神で頑張り、そういうものを自分の自信にしている。

 

これを仏教では執着と言う。

 

いずれ失ってしまうものをかき集めたり、手元に留めておこうとしたりすることに一生懸命になることは無意味だ。私たちは諸行無常の理の前では無力。

そして、いずれ失ってしまうものを根拠にして他人を見下したり、馬鹿にしたりすると、それを失った時に(その時は必ずやってくる)、その時の冷淡な気持ちが全て自分に返ってくることになるため、苦しむことになる。

 

だからといって全てを投げ出したり、糞掃衣一枚で出家する必要もない。

 

全ては一時的に自分の手元や身近なところにやってきたものであり、それらが自分の手元や身近なところにある限り、それらを大事にすることに心がけていけばいい。

 

愛は自由に動きまわることを欲している。立ち止まることも、逃げ去ることもじゃましない、開かれた手を必要としている。愛の動きを妨げようと指を握ることは、わたしたちの手を棺に変えることにほかならない。なぜなら、所有することは、殺すことだから。

なにかがわたしたちの手中に住まい、しおれたとしても、わたしたちが豊かになるわけではありません。堂々とした出入り口を往き来するようにして、握りしめた拳から全てが流れ出るからこそ、わたしたちは豊かになれるのです。わたしたちの両手が、棺であってはいけません。

 

以上はヌッチョ・オルディネ氏の『無用の効用』という本からの引用になるが(後者の言葉はリルケのものとのこと)、大事にするというのは握り締めないこと、留めようとしないこと、縛らないこと、循環を妨げないことだ。

 

循環というのはある種の躍動でもある。動いているからこそ循環できる。

循環しているからこそ入ってくることもあれば出ていくこともある。

入ってきたものを大事にしていれば、それが人であれば自ら進んで自分のもとにいたいと思ってもらえ、実際にそばにいてくれるだろうし、ものであればいい状態で長く愛用することができる。そして、然るべき時が来れば、それらは何らかの形ですっと出ていく。これが循環。

 

インデックス投資をしている以上、そこにはお金の出入りがある。お金が出ていき、何らかの平均値に合わせて動き、お金(利益)が入ってきて、またお金が出ていく。もちろん損失が出る時もある。躍動している。さらに、少なくとも私の場合、なんでもっと増えないんだとか、なんでこんなに減ってしまうんだとか、投資に回したお金を思いどおりにしようと思っていない。愛犬をドッグランに放っている感覚がある。ドッグランの中で愛犬が存分に体を動かしているのをぼさっと見守っている感覚がある。

 

一定の生活防衛資金が貯まったら、あとは自分が大事に使いたいものにお金を使う、それでも使いきれない場合は、自分のお金を大事に使ってくれそうな身近な人にお金を使う、それでも使いきれない場合は、インデックス投資=ドッグランで運動させておけばいい。そこには循環がある。躍動がある。このようにお金を縛り付けていないからこそ、高給取りでなくても金銭的に余裕のある暮らしを送れているのかもしれない。。まぁ、この論はエンタメの域を出ないとは思う。

 

しかしながら、日常生活を送る上で、身の回りのものの循環を意識すること、身の回りのものの躍動を意識することは大切だと思う。停滞しているものはないか、縛り付けているものはないか、淀んでいるものはないか、滞留しているものはないかという意識は大事だと思う。日々の中で何かをかき集めようとしないこと、握り締めようとしないことを心がけていこうと思うどす。