おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「そう見えている」だけの世界

俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ・・・・・・ママ虫(育児をろくにせず遊びまわる、害虫のような母親という意味のネットスラング)もいい身分だよな・・・・・・韓国の女なんかと結婚するもんじゃないぜ・・・・・・。

 

私の生活も、仕事も、夢を捨てて、自分の人生や私自身のことはほったらかしにして子どもを育ててるのに、虫だって。害虫なんだって。私、どうすればいい?

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン

 

主人公の女性は自分にとって大事なものを手放して子育てを頑張っていて、公園でコーヒーを飲みながらほっと一息ついていた時に、赤の他人のサラリーマンから害虫扱いされてしまった、そして主人公はものすごく傷ついた、という場面。

 

私たちはしばしば他人からの評価を気にしてしまう。

 

良いことを言われたら舞い上がり、悪いことを言われたら意気消沈してしまう。

 

みたいな感じのニュアンス的な雰囲気で自分の価値が他人からの評価に依存してしまっている。

 

ここで冷静にならないといけないのは、果たして相手は本当に自分のことをわかっているのかしらん、ちゃんと自分のことを見えているのかしらん、ということだ。

 

上の小説の場面でいうと、サラリーマンは主人公の女性のことを全てわかった上で「害虫」と呼んでいるのかしらん、ということだ。

 

間違いなくそのサラリーマンは主人公がこれまでどのような思いで生きてきて、どのような日常を送っているのか、どういう流れで公園にたどり着き、どういう気持でコーヒーを飲んでいるのか、ということの一切を理解していない。

 

ただ彼には主人公が「害虫に見えた」ただそれだけだ。

 

物事が「そう見えた」からといって物事が「そうである」ということにはならない。

 

そのサラリーマンに主人公の女性が「害虫に見えた」からといって彼女が「害虫である」ということにはならない。

 

主人公の女性が「害虫に見えた」のは、主人公に原因があるのではなく、サラリーマンのほうにある。

 

どうして自分は相手のことをよくわかりもしないのに、ただ公園でコーヒーを飲んでいるだけで相手のことが害虫に見えてしまうのかしらん。

 

どうして実際には何もわからない相手のことが悪く見えてしまうのか、サラリーマンの男がやるべきことは、それについて考えることだ。

 

一方、主人公の女性はどうして何も事情がわかっていない人からの意見を真に受けて傷ついてしまうのか。

 

それは日頃から自分自身が人のことを決めつけて、それが自分の単なる思い込みであると気づかないまま、他人に対して冷淡な気持ちを起こしているからだろう。

 

私たちはちょっとしたことで、人のことを「あの人はこういう人間だ」と決めつけてしまう。

 

相手のことを全面的によくわかっていないにもかかわらず、自分なりのフィルターを通して相手を見、相手のことを決めつけ、決めつけるともうそうとしか見えなくなる。

 

主人公の女性は、日頃から自分なりの基準に照らし合わせて「価値のない人間のように見える人」を「価値のない人間である」と決めつけ、そしてその人に冷淡な気持ちを起こしていたのではないかしらん。

 

だからこそ、他人にとって「価値のない人間のように見えている」状態が、「自分は価値のない人間」という固定的なものになり、日頃から価値のない人間に対して起こしている冷淡な思いが自分に返ってきて苦しむことになっている。

 

私たちは常に自分のフィルターを通して物事を見ている、自分の思い込みの中に生きている。

 

よって自分は相手のことをきちんと見えていないし、相手も自分のことをきちんと見えていない。

 

そういう盲人同士が、自分は正しい、自分には物事がありのままに見えている、という前提のもとにコミュニケーションをとっているために必ずミスコミュニケーションが起こり、そのせいで一喜一憂してしまう(称賛も罵倒も相手のことをきちんと理解した上でおこなっていることはほとんどないと思われる)。

 

自分は相手のことを思い込みで見ている、ということに気がつくと、自分には相手がこう見えるけれど、本当のところはどうなのかしらん、と相手のことを決めつけることなく相手に尋ねたり確認できたりする。相手の話にちゃんと耳を傾けることができる。

 

相手は思い込みで自分のことを見ている、ということに気がつくと、相手が何か悪口めいたことを言ってきても、相手にはただそう見えているだけで、ちゃんと物事が見えた上で言っているわけではないので、放っておけばいい。相手にはそうとしか見えないのだからどうしようもない。それが相手の世界なのであーる。むしろ、どうしてその人には物事がそう見えるのか、相手はどのような世界の中で生きているのか、ということについて考えると面白い。

 

自分に見えている世界と実際の世界には大きな隔たりがある。

その隔たりに気が付かず、相手のことを決めつけ、否定していると、それが自分に苦しみをもたらす。

 

声出して切り替えていこうと思う。