連休中に買ったもの
連休中に買ったものは以下のとおり。
1|ナイトランプ
2|サプリ
3|まな板
4|Tシャツ
5|靴下
1|ナイトランプ
これまでも同じものを使っていて、さすがに4〜5年ほど使うと電池がすぐに切れるようになったため買い替えることにした。
このランプは枕元に設置し、読書灯として利用している。
光の色味や明るさも調整でき、シンプルでコンパクトなのでとても重宝している。
ここ最近はすぐに充電をする必要があったのだけれど、その手間から解放された。よかった。
2|サプリ
私はマルチビタミンと亜鉛のサプリを飲んでいるのだけれど、それらが切れたので補充することにした。これまでは近所の薬局で調達していたのだけれど、楽天市場のiHerb公式ショップでサプリを買えるようになっていたので試しに買ってみた。
iHerbの公式サイトで買うと6000円以上で送料が無料になるのだけれど、楽天のiHerb経由だと3980円以上で送料が無料になる。
値段も両者でほとんど変わらず、ポイントが付く分、楽天経済圏民の私には、後者のほうが都合がいい。
3|まな板
まな板は100均に売っている300円くらいのものを2年ほど使っていたのだけれど、先日街をぶらついていると、良い感じのまな板が1000円で叩き売られていたので、買うことにした(TRAMONTINA(トラモンティーナ)というブラジルのメーカーのものらしい、知らないが)。そういえばまな板を買い替えたいと思っていたのだったと思い出したのであった。これまではプラスチック製だったのだけれど、これは木製のまな板でとても使いやすい。
4|Tシャツ
3年ほど愛用しているモンベルのウィックロンTシャツを買い替えることにした。黒2着とグレー2着を手放し、黒2着とダークグレー2着を新たに購入。昨年購入したネイビー2着と合わせて合計6着を愛用している。ウィックロンTシャツは、とても機能的で耐久性もあるので、部屋着としてではなく筋トレやジョギングや登山時にも愛用している。これからも定期的に買い続けていくと思う。
5|靴下
2年ほど履いたので買い替えることにした。プライベート用の靴下はTabioのものにすると決めている。日本製なのがいい。黒のシンプルなものを3足。プライベート用の靴下は3足あれば十分に足りるのでそれだけしか持っていない。
以上の5品は基本的にそれまで使っていたものの入れ替えであり、それ故に確実に使うものになる。
使わないものは買わない、そして捨てる
使わないものを買うことは意味がなく、お金とそれを稼ぐために費やした時間と労力をドブに捨てるようなものなのだけれど、今回買ったものはきちんと使うものなので問題ない。
使うたびに時間とお金と労力が活かされることになるし、使うたびにそれらは自分にとって大事なものになり、日常の満足度が上がっていく。
そして今回買ったものをきちんと使うために、これまで持っていたものは確実に手放す必要がある。
ナイトランプを2つ持っているともう一つを使ってあげられなくなるし、まな板を2枚持っているともう1枚を使ってあげられなくなる(というかそれらは1つあれば十分に事足りる)。
Tシャツも靴下も自分が使える以上に持っていると、一つひとつを存分に使うことができなくなり(使わないTシャツや履かない靴下が必ず生じてくる)、きちんと使うことによって大事にするということができなくなる。
よってこれから使わなくなるものは問答無用で捨てた。
「自分にとっての価値」と「市場価値」
ものを買い、きちんと使い切ったなと思ったら定期的に入れ替えると気分もスッキリする。
きちんと使い切ったと思えるものは難なく手放すことができるけれど、買ったにもかかわらず全然使っていないものほど手放すことは難しい。
それはものの価値を「自分にとっての価値」ではなく「市場価値」でしか捉えられないからで、「自分にとっての価値」というのは「自分が使っているかどうか」「自分が使うかどうか」が軸になるのだけれど、「市場価値」というのは「不特定多数の人間から良く見られそうどうか」が軸になる。
ものは使わなければ新品同様であり、値段も高いままであーる。値段の高いものを持っている私は、値段の高いものを持っているが故に価値のある人間であーる。そして逆に、値段の高いものを手放した私は、値段の高いものを持っていないが故に価値のない人間になってしまうのであーる。価値のない人間にはなりたくないので、買ったけれど使っていないものを手放したくないのであーる。
みたいな感じのニュアンス的な雰囲気で、ものの市場価値で自分の価値を規定しようとする思考パッターンがあるが故に、使っていないものほど手放すことができなくなる。
そして、ものは使わなければ価値は高いままだ、という思考の前提には、ものの価値は自分が使うと下がってしまうという思考がある。
それは言い換えると、自分で自分のことを価値のない人間と思っているということになる。
自分のような価値のない人間が使うとものの価値は下がる、というわけでやんす。
だから、使わずに市場価値の高いままでものを保持していよう、手放さないでいよう、となるでやんす。
そして、自分は価値のない人間だから、市場価値のあるものをかき集め、握りしめ、それをアッピールすることによって価値のある人間として見てもらおう。
この手のニュアンス的な雰囲気っぽいスタイル風のスタンスチックな塩梅の思考パッターンを仏教では煩悩というのだけれど、話が長くなりそうなので、終わりにするでやんす。
とにもかくにも、新しいものを買ったら古いものは捨てるに限る。
そして、実際に使っているものだけで身の回りを固めていくに限る。
そうして「ものを大事にすること=ものをきちんと使うこと」を心がけていくに限る。
声出して切り替えていこうと思う。
P.S.
そろそろタオルとスポンジも買い替え時でござんす。