先日、シャツを新調した。
購入したのは Manual Alphabet というブランドのシャツで、かれこれ4年ほどは愛用している(プライベート用のシャツはこれからもここで買い続けると思う)。
このブランドのシャツは、国産でシンプルで上質で値段も高すぎないところがいい。
1点1点職人さんが丁寧に作っているらしい。
私はプライベート用のシャツは計4着持っているのだけれど(半袖2着、長袖2着で全てManual Alphabetのシャツだ)、今回は長袖の1着の色が諸行無常の理によって今の私にとってカジュアル過ぎるようになってきたため、買い替えることにした。
色は「sumikuro(スミクロ)」で、今回は襟なしのものにした。
ネットで購入したためスミクロという色が具体的にどのような色なのかよくわからなかったが(黒っぽいということだけはわかった)、スミクロはネイビーでもなくでもなく黒でもない。光の加減で黒にもネイビーにもグレーにも見える。
左から黒、スミクロ、ネイビー
黒だときっちりしすぎるところを少し緩めてくれている絶妙な色味になっていて、個人的にはとても好きな色だ。
サイズもいつも通りのサイズで問題ない(ちなみに170cm58㎏でサイズ1を購入)。
とてもいい買い物をすることができた。
持っていた長袖シャツ1着は捨てることにした。
ものは使うことによって大事にすることができる。
使わずに保管しておくことが大事にするということではない。
使う頻度が少ないもの、使う頻度がゼロのものは大事にできないのだから手放し、手元に残ったものをきちんと使うことによって大事にすることが大切になってくる。
ものを際限なく増やしていくと、当然一つひとつのものをきちんと使うことができなくなってくる。
使っていないものが増えていくわけだから、一つひとつの価値(市場価値ではなく自分にとっての価値)が下がっていく。
すると自分の持ち物に価値を感じられず、自分の持ち物ではないものに価値を感じるようになり、次々にものをかき集め始める。
「かき集める→使わない→自分の持ちものに価値を感じられない→またかき集める」という無限ループにはまり込んでいき、「ものを使うこと=ものを大事にすること」ではなく「ものをかき集めること=ものを使わないこと=ものを粗末にすること=自分の時間やお金を粗末にすること=自分を粗末にすること」に楽しみを見出してしまうようになる。
その楽しみは一瞬の快楽で、味わってしばらくすると渇きが生じる。
この無限ループから抜け出すためには、まずは使っていないものを手放す。
それから手元に自分の持ち物を少し良いものに変え(他人を見下すための高級ブランド品である必要な全くない)、使っていて気持ちのいいものに変え、ちゃんと使って大事にしたくなるようなものに変え、良いものを長く使っていくことを心がければいいと思う。
そうすると、ひとつひとつの持ちものをきちんと使っていくことができやすくなるので、自分の持ち物の価値(市場価値ではなく、自分にとっての価値)が上がるため、そう簡単に他のものには目移りしなくなってくる。
そして、どんなに大事にしても諸行無常の理によって結局最後は壊れるし、死によって全てを手放すことになるという大前提を忘れないように、定期的に自分の持ち物を入れ替えることも必要になってくる。
今回はいい感じでシャツを入れ替えることができた。
色も落ち着いているので、今回手放したシャツよりも長く着続けていくことができると思う。
大事にしていこうと思う。