おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「2つに分けて一方を否定する」ことが苦しみを生み出す

良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのは、シンプルだし直感的かもしれない。しかも双方が対立していればなおドラマチックだ。わたしたちはいつも気づかないうちに、世界を2つに分けている。

ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロランド『FACT FULNESS』

 

わたしたちは息をするように世界を2つに分けている。

 

善か悪か

価値があるか価値がないか

自分にとって都合が良いか都合が悪いか

 

物事を2つに分ける基準は人それぞれ違うけれど、とにかく2つに分けている。

 

そして、自分の基準の中で「悪」「価値がない」「都合が悪い」とみなした人に対して否定的な感情や冷酷な感情を起こしている。

 

そこには「悪」「価値がない」「都合が悪い」人間はどんなに苦しんでもいい、どんなに傷つけてもいい、どんなに粗末に扱ってもいいという思考パッターンがある。

 

自分にとって「悪」のもの、「価値がない」もの、「都合の悪い」ものには、苦しみを与えて消し去れば、物事全てが思い通りになる、自分の世界は正常になる、きれいになるという根本的な思想がある。

 

私たちには悪を苦しめようとする傾向がある。

 

だから、自分が人にとって「悪」「価値がない」「都合が悪い」側になると人から苦しめられると思ってしまい不安になる。

 

その不安をかき消して、安心するために、自分は常に「善」の側、「価値がある」側、「都合の良い」側に立とうとする。

 

自分は善人であるというアッピールをする、自分は価値のある人間であるというアッピールをする、自分は相手にとって都合の良い人間だということをアッピールする。

 

しかもそのアッピールの方法も、「悪」「価値がない」「都合が悪い」とみなした他人を否定したり、見下したり、馬鹿にしたりすることによって、自分はあの人(たち)のような人間ではないということをアッピールする。

 

自分の価値を感じたり、自分の価値をアッピールしたりする過程において、必ず「悪」「価値がない」「都合が悪い」人を攻撃することになるため、ますます自分が「悪」「価値がない」「都合が悪い」状態になることが怖くなる。

 

金持ちであることを根拠に他人を見下すことによって、価値のある自分というものを感じたりアッピールしたりすると、お金がなくなることが異様に怖くなるようなものだ。

 

美人であることを根拠に他人を馬鹿にすることによって、価値のある自分というものを感じたりアッピールしたりすると、美貌を失うことが異様に怖くなるようなものだ。

 

精神的な苦しみは、世界を2つに分けてしまう傾向と、その内の悪い方に対して冷酷な思いを起こしてしまう傾向と、その反動で、もう一方の良い方でなければいけないという執着によって引き起こされている。

 

先日、取引先のAさんという人から電話があり、ある案件について息巻いてもの申してきた。

 

おそらくAさんの中の基準において、私は「悪」にカテゴライズされ、Aさんにとって私は「悪」になったと思われる。

 

そしてAさんは「悪はどんなに苦しめてもいい」「悪を苦しめることこそ善である」いう私たちの多くが抱いている一般的な思想(この思想は小さな子ども向けの戦隊モノや多くのアニメやドラマやワイドショーにおいても楽勝で見出すことのできる、極々当たり前とされている思想)に基づき、自分は正しい、間違っていないというところに立ち、間違っていると見なしたものに正義の鉄槌を下すみたいな感じのニュアンス的な雰囲気で、私を怒鳴りつけてきた。

 

Aさんとしては然るべき手順を踏んでいないということで怒っていたのだけれど、実はAさんの言う然るべき手順というのはきちんと踏んでいて、Aさんが単純にメールを見ていなかっただけであった。

 

それに気がついたAさんは口調を落ち着かせ、とりあえず一件落着なのだけれど、ここでの注目するべきは、悪と見なしたものとそうでないものへの対応の落差だ。

 

Aさんはおそらく自分が「悪」とみなしたものに対してとても無慈悲な心を持っている。どんなに苦しめたり、傷つけたりしても、あいつは悪なのだから問題ないという思想を持っている。

 

そしてその思想は、他人から「悪」とみなされないように、常に「善」でなければならない、ミスをしてはいけない、完璧でなければならないというような強迫観念を生み、他人に「悪」と見なされたならば、みんなが自分を無慈悲に攻撃してくるのではないか、怒鳴りつけてくるのではないか、否定してくるのではないかという不安や恐怖を生み出す。

 

だからこそ確かに、Aさんは仕事に対して神経質だし、ミスや批判を異様に恐れているような気がする。

 

これは何もAさんが特殊でどうしようもない人間だということを言いたいわけではなく、Aさんように、自分が悪と見なした人には冷酷である人が私を含めて大半であり、AさんはAさんで、悪に対して非寛容である分だけ息苦しい世界にいるのではないかと思う。

 

世界を善と悪に分け、「悪に冷酷であることが善」という思想。

 

この思想から離れられた分だけ苦しみは減る。

 

声出して切り替えていこう。