おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自分を大事にするためにものを捨てる

まずは大前提として自分に価値を置く必要がある。自分は大事な存在であるとする必要がある。

 

ものを買うということは、大事な自分の大事な時間と労力をお金に換え、そのお金をものに替えるということだ。

 

買ったものをきちんと使うということは、自分の時間と労力とお金を大事にするということで、それは自分を大事にすることでもある。そして、そのものはきちんと使う度毎に、自分にとってなくてはならないものになっていき、有意義なものになっていき、価値のあるものになっていく。

 

そういう大事なものは簡単には手放そうとも思わないから、新しいものに目がいかなくなる。きちんと使えないにも関わらず、同じようなものをあれもこれもと買い漁るようなこともないため出費は安定していき、当然お金は貯まってくる。

 

そういうお金も使わずに貯め込んでおくばかりでは意味がないので、大事に使いたいものや大事にしたい人との人間関係を深めるために使っていく。

 

すると、身の回りのものは自分が頻繁に使う大事なものによって構成されていき、良好な人間関係に恵まれるようになる。自分に価値を置き、自分を大事にした結果、価値のある自分にふさわしい価値のある生活が実現される。

 

もちろん中には、使っていく中でその使いづらさがわかってきたり、自分にはしっくりこないことがわかってくる場合もある。そういうものは自然と使わなくなっていく。

 

使っていないものというのは自分にとって価値がないものだ。価値がないからこそ使っていない。

 

使っていないもの=価値のないものを自分の周りに溢れさせている状態は自分を大事にしているとは言えない。それは自分にとって大事な人が過ごす部屋にゴミを散乱させているようなものだ。大事な人にはゴミのない清潔な部屋で過ごしてもらいたいように、大事な自分のために清潔な部屋を準備することは自分を大事にすることになる。使っていないもの=ゴミを手放すことによって部屋が清潔になり、そういう清潔な部屋を自分に用意することによって自分を大事にすることができる。

 

もともとAというものを持っていなかった時、当然ながらそこにはAを使っていないという状況がある。そしてAを購入したとしても、Aを使っていなければ、状況はAを持っていなかった時と何も変わらない。使っていないということは持っていないことと同じだ。時間とお金と労力を費やした挙句、状況は同じまま。そうであれば、それは時間とお金と労力を無駄にしたということになる。買ったのに使っていないというのはそういうことなのだ。

 

だがしかし、それはそれで仕方がない。そもそも私たちの人生はその大半が試行錯誤の連続であるし、その過程において無駄を完全に排除することはできない。私たちはどうしても何かを無駄にしてしまうものなのだ。

 

だからこそ、使っていないものを捨てることで、その無駄を認め、無駄を許容できるようになっておく必要がある。無駄をある程度許容できないと、そもそも試行錯誤ができないし、どうしても無駄が生じてしまう人生の大半をカリカリイライラし、不快なまま過ごす羽目になってしまう。

 

買ったけれどほとんど使っていないものを実際に捨てた時に初めて、また無駄にしてしまったなー、と反省することができるのであって、それはそれで良い機会と捉えて、意を決して手放していくしかない。そうでなければ無駄を許容できない。

 

何かを手放す時に抵抗が大きいのは、買ったけれどほとんど使っていないものを手放す時の方が多い。毎日のように使っていたものを手放す時は、すでにそれは十二分に使い尽くされていて、さすがにもういいかー、と案外とすっぱりと手放すことができる。

 

買ったけれどほとんど使っていないものは、現に使っていないにも関わらず、高かったから、後で使うかもしれない、もったいない、との思いからどうしても捨てたくないと思ってしまうことが多いのだけれど、それは「何かを無駄にしてしまう自分」、「間違うこともある自分」、「愚かな自分」という自分にとって不都合ではあるけれど間違いなく自分の一部分である自分の側面を受け入れることができず、自分のことを「正しい自分」、「賢い自分」としか捉えることができていないからだ。

 

それは自分の一部分しか認めていないということで、自分を大事にできている状態ではない。自分を大事にできている状態というのは、自分の良いところも悪いところも受け入れて、許容できている状態を指す(だから言って、自分の俗悪な部分が善良なものに切り替わるわけでも正しいものに正当化されるわけでもなく、俗悪な部分な俗悪な部分のまま受け入れることになる)。よって、使っていないものを手放そうとする機会は、自分にとって認め難い自分の一部分を受容する好機でもある。

 

よって自己否定が強ければ捨てられないし、自己肯定感が強ければ捨てられる。逆に言えば、使っていないものを捨てることによって自己受容することができる。そして、使っていないものをさらさらと手放していける人は、その分自己肯定感が高く、自分の良いところも悪いところも受容できていると言える。

 

使っていないものを捨てれば捨てるほど、身の回りのものは整い始め、自分を少しずつ肯定できるようになっていく。使っていないものを捨てるということは自分を大事にするために不可欠なことなのである。