おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

日常の基本ブロック

私の日常は平日も休日も基本的に一定で、誕生日だからあれをする、クリスマスや正月だからこれをする、何月何日だからあれをする、というのは特にない。もちろん人から誘われれば、柔軟に応じるし、普通に楽しむことはできるのだけれど、一人でいると基本一定の日常が続く。それはそれで心地が良い。

 

その日常というのは基本的に、以下のとおり。

 

  • 寝る
  • 起きる
  • 食べる
  • 排泄する
  • 働く
  • 運動する
  • 家事をする
  • 読む
  • 書く

 

そのうちの「寝る」「起きる」「食べる」「排泄する」、これらは生きている限り絶対にやり続けなければならないことで、最優先事項である。そしてその他はオプションに過ぎない。

 

しかし、それらのオプションは自分を大事にするために必要な活動であるため、その重要度は私にとって極めて高い。

 

働くことは、自分を大事にするための費用である生活費のために必要であり、また頭と体を使って頭と体を大事にするために必要だ。

 

運動は、体を動かして自分の体を大事にするために必要だ。運動をすることによって脳細胞が作られるみたいな感じのニュアンス的な研究結果もあるため、頭を大事にするためにも必要かもしれない。

 

家事は、「寝る」、「起きる」、「食べる」、そして「排泄する」という人生の本質的な活動にとって極めて重要な補助的な活動であり、家事をしなければ、ゴミのような部屋で寝起きをし、ゴミのような食事をとることになり、ゴミのようなトイレで排泄をすることになる。つまり、家事を疎かにすると、それはそのまま自分を粗末に扱うということになる。

 

読むことと書くことは頭を適度に使って自分の頭を大事にするために必要だ。

 

以上は私の日常を為す基本的で根本的で中核的な活動ブロックであり、諸行無常の理によってよほどのことがない限り、なるべくこれらのブロックが組み込まれた日常を送り続けていきたいと思う。

 

そもそも自分は大事であるということ、そして自分を直接的に大事にできるのはこの世に自分しかいないということ、これらがわかると(だからといって他人は無価値であるとか他人を粗末に扱ってもいいとか他人を見下してもいいということには決してならない)、自分を大事にするために必要な活動が見えてくる。そうして自分にとって大事で必要な活動がわかってくると、それらに優先的に時間やお金や労力を費やせばいいということがわかってくる。あとはそれを主軸とした日常を繰り返していくだけだ。

 

自分を大事にするための活動をただやる。活動一つ一つごとに整うし、そういう活動が主の一日一日ごとに整う。

 

シンプルだ。だけど案外難しい。だからこそ面白いので、日常をしみじみと楽しめているのかもしれない。