おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

乱れては整え続ける日常や

私たちの日常は放って置くと必ず乱れるようにできている。

 

食事をすると、台所は散らかるし、ゴミは出るし、洗い物も出る。

部屋は放って置くとホコリが貯まって、空気は淀んでくる。

服も着たらシワができたり、汚れたり、臭ってきたりする。

体も心も然るべきケアを怠ると、気だるくなってくるし、調子が狂う。

 

とにかく私たちの日常は1秒単位なり、1分単位なり、1時間単位なり、1日単位なり、1週間単位なり、1ヶ月単位なり、1年間単位なりで必ず乱れるようにできている。

 

そしてその乱れを放って置くと、物事は悪い方向へ進みやすくなる。

 

だから私たちは定期的に、それもまだ乱れ具合が軽いうちに物事を整える必要がある。

 

それは掃除だったり、片付けだったり、整理だったり、洗濯だったり、アイロンがけだったり、自炊だったり、運動だったり、散髪だったり、瞑想だったり、靴磨きだったり、自分の考えを書き出してみたり、感謝の言葉や謝罪の言葉を口にすることだったり、人の話を聞いてあげることだったり。

 

他にもあるだろうけれど、これらはどれも乱れたものを整える営みだ。

 

自分の日常生活、自分の心身、自分の身近な人間関係、それらを定期的に整える。

これらが整っていると、なんかいいわー、としみじみと思えてくる。そして整えることが習慣になってくると、何かを整えること自体がささやかな楽しみになってくる。

 

今年の連休は、持ち物を見直し、使わないものは手放し、買い替え時のものは買い替えた。また、普段洗濯しにくい就寝用のマットレスを洗濯したり、久しぶりに会う友人と酒を飲み交わした。普段どおりの掃除や洗濯や運動などの「整え」に加えて、連休だからこそできる「整え」も行うことができた。あとはサウナに行って整えることにしようかしらん。

 

物事は放って置くと必ず乱れるようにできている。そして乱れっぱなしはやばい結果しかもたらさないから、私たちは必ず整えなければならない。つまるところ我々の日常は乱れたものを整えることの繰り返しに集約されるのではないか。それは地味で平凡だけれど、目を逸らすべきではないとても大事な現実なのかもしれへん。

 

何かが乱れた時、それを整えることを怠ると、つまり面倒だからといって現実から目を逸し、寝腐り、趣味に没頭し、買い物中毒になり、Youtubeに入り浸っていると、精神は錯乱し、頭には靄がかかり、体は気だるくなり、部屋は散らかり、もので溢れ、どうでもいいこと(大事なことを整えること以外のこと)にお金と時間と労力が投じられ、人間関係は希薄になってくる。

 

うん、確かに面倒ではあるけれど、物事を定期的に整えることには十分に価値があるな。

 

地味で平凡だけどこれからも心がけていくようにしよう。