おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

整える人と没頭する人

先日、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだ。とんでもなく濃密な

小説で、おそらくこの先も読み返したくなると思う。

 

その小説の解説文を梨木香歩さんが書いているのだけれど、その中に以下の一文があった。

 

「家」という建物は面白い。国とか地方、村、或いは民族、という括りがそこに属する人々の特性をおおざっぱに語るなら、およそ個人が生存に必要なためのあらゆることが結びついている家という構造物は、国とか民族とかいう括りよりももしかしたら遥かに雄弁にそこに棲む人々を物語っているかもしれない。

 

家がどうなっているのか、部屋がどうなっているのか、それが住人の人となりを物語る、日常的な生活空間がその人個人を物語る、とも言えるかもしれない。

 

百年の孤独』はある一族の物語で、その一族は基本的にみんな変わり者なのだけれど、大きく2種類の人間に分けられる。

 

一つは整える人で、もう一つは没頭する人だ。

 

放蕩、権力、富、趣味、仕事など何かに没頭するとそれ以外のことが見えなくなり、疎かになり、その人にとって優先度は低いかもしれないが、実際は根本的に大切なものである日常空間は荒れ放題になる。

 

その人が何かに没頭できるのはその人がほったらかしにして乱れ続けるところを定期的に整えてくれる人がいるからだ。

 

現に、整える役割を担っていた人物の機能が一時的に停止したりいなくなったりすると、間もなくしてその家は虫と植物を始めとする自然の波に飲み込まれ、人も絶え、崩壊、消滅してしまう。

 

もちろん、どんなに整え続けて大事にし続けても、壊れるものは壊れるし、手元を離れるものは離れてしまうのだけれど、それはそれで仕方がないし、さらにいずれ自分も必ずこの世を去るということを考えると、今手にしていると思っているものは全て必ず手放すことになる。

 

だがしかーし、いずれ何らかの形で手放すものであったとしても、全てが借り物であったとしても、自分の手元にある限りは整え続けて、大事にし続けていかなれば、どうしようもないレベルにまで乱れや崩壊が進行し、消滅の時期が格段に早まるだけなのであーる。

 

それは睡眠習慣や食習慣や運動習慣や口腔ケアや掃除や洗濯や炊事や人間関係や仕事や家計管理や居住空間等、自分の身近なもの全てにおいて大事になってくる。

 

私は身の回りのものをきちんと整えられているか。

何かに没頭しすぎて、疎かになっているものはないか。

 

なかなか難しいことではあるけれど、身近なものを整えられる術を少しづつ身につけていこう。