おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

人のことを認めない人の世界

先日、管理職に業務の相談をしているとAさん(50代女性)がやってきて、管理職の勧めもあって相談を打ち切りAさんの話を聞くことになった。

 

Aさんは基本的に人間関係で苦しんでいて、月に1〜2回の頻度で私のところにやってきて、色々と話をぶちまけては去っていく。

 

Aさんが来ると最低40分くらいは話を聞く羽目になるのだけど、私は「その人には世界がどのように見えているのか」ということに興味があるほうなので、人の話を聞くのは特に苦痛ではない。

 

男性の話か女性の話、どちらの話を聞く方が好きかと言われると、女性の話の方が好きで、それは私に異性に対する下心があるからというわけではなく(それも少しはあるかもしれないが)、男性の話、特に年配の男性は産業界の話や酒の話や昔の社会の話など知識ベースの話が多く、女性の話は自分は今こう思っている、こう感じている、という感情や内面的な話が多いので、「その人には世界がどのように見えているのか」ということに興味がある私には女性の話の方が面白く感じられることが多い。

 

Aさんは苦しんでいて、その苦しみの原因は別の同僚Bさんにあると考えている。また、自分の業務について周囲が評価してくれないことにも苦しんでいる。

 

私はきちんと仕事をやっているのにBさんは手抜き仕事をしている。

私は仕事をこんなに頑張っているのに周囲はそれをきちんと評価してくれない。

 

自分なりに仕事をきちんとやっていて、頑張っているのであればそれだけで良いと思うのだけれど、Aさんとしてはそれだけでは不安なのだろう。

 

それはなぜかというとAさんは競争心が強く、仮にBさんが評価されたとしたら、自分は評価されていないと感じてしまう。AさんもBさんも同じように評価されたら、どうにかしてBさんの粗を探して、Bさんを見下そうとする。Aさんのなかでは、AさんもBさんもどちらも評価に値するということはありえず、常にどちらかが上でどちらかが下、どちらかが勝者でどちらかが敗者、どちらかが正しくてどちらかが間違っている、というように人を見ることが多く、「どちらも価値がある」という見方ができない。

 

BさんもBさんで自分なりに仕事をきちんとやっているのだから認めてあげればいいのだけれど、Aさんの中ではBさんを認めてしまうと自分が負けということになってしまう。だから負けないように常に自分にムチを打って無理して頑張るし、相手の粗を常に探す癖がついている。相手の価値のあることを価値のあることとして見ることができればいいのだけれど、

 

Aさんは自分が仕事をきちんとしているにも関わらず、日頃から相手の粗ばかりを探して他人を見下そうとしているが故に相手から自分も粗を探されて見下されているのではないかと不安になっている。だから確証が欲しくて他人からの評価を求めてしまう。

 

相手の価値のあるものを価値あるものとして見ることができないので、自分が価値あることをしていてもそれを価値あることをしていると素直に思うことができない。自分が他人を認めないように、他人も自分を認めていないように感じてしまう。そうして私はこんなに頑張っているのに誰も認めてくれない、私は被害者、あの人は加害者となってしまっている。それはそれでまた自分の頑張りや仕事を根拠にして相手の粗を探していることになり、そのせいでまた自分が認められていないように感じる「世界」ができあがっていってしまう。

 

その世界の中では、自分が認められていないように感じる、認められようと頑張る、ちゃんとやっているのに認められているように感じない、もっと頑張る、認められているように感じない、自分にムチを打ってもっと頑張る、ということが延々と繰り返され、どんどんと苦しくなっていく。

 

その「世界」というのは自分の思い込みの世界であるが、本人はそう思い込んでいるのだから本人にとってそれは現実でもある。そしてその「世界」は自分が相手や世界にどのような思いを起こしているかによって決まる。

 

Aさんは何もBさんのためにBさんを認める必要はない。BさんのためにBさんを心の底から認めることができるのは神や仏だけだ。私たちは他人を100%純粋な真心を込めて認めることはできない。

 

Aさんがやるべきことは自分にとって苦しい世界を作らないためにBさんを認めること、自分が苦しまないためにBさんを認めること、自分が認められていると感じやすい世界を作るためにBさんを認めることだ。

 

ということをAさんに伝えたいのだけれど、いきなりはわかってくれないと思うので、まずはひたすら愚痴と日頃の不平不満を聞くに努めようと思う。