おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

「心の穴」をぼさっと眺める

 「心の穴を埋める」ということは、自分が自分を受容していないのをごまかして、苦しみを相手のせいにすることだからです。

 

 ヤリチンが「多くの女性とセックスできる自分が好き」というナルシシズムで心の穴を埋めようとしているように、自己受容してないオタクは「モノや概念が好きな自分」「それについて他人より詳しく知っている自分」が好きで、そのナルシシズムで心の穴を埋めようとしているのです。この「モノや概念」というのは、アニメやアイドル・パソコン・カメラ・鉄道といった「いかにもオタク」な趣味だけでなく、仕事・お金・教養・スポーツ・健康なども含まれます。

 

 自己受容していない人は、別れの混乱のあまり、今までの苦しみを「相手のせい」にして憎んでしまうことがあります。

でもそれは自分の悪いところ、自己受容できない部分を「相手の中」に見て、じつは自分自身を憎んでいるんです。

 

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』)

 

 ここでいう「心の穴」というのは自分が自分の中で価値がないと思っている部分、否定している部分、醜いと思っている部分、見たくないと思っている部分、消し去りたいと思っている部分、そういう感じのニュアンス的な雰囲気の部分のことだ。

 

 私たちはそもそも神でも仏でもないのだから100%善良な自分、100%清廉潔白な自分というのはあり得ない。表面はうまく取り繕っているかもしれないが内面ではとんでもない感情や思いが沸き起こっていることってあるよね。

 

醜い自分、臆病な自分、卑怯な自分、吝嗇な自分、冷淡な自分。胸を張って人には見せられないような部分であっても、それらは間違いなく自分の一側面である、消し去ることのできないかけがえのない自分の一側面である、ということを受容できればいいのだけれど、自分のそういう側面を受け入れきれず、こんな自分はダメだぽよ、価値のない側面がある自分は価値のない人間だぽよ、と自己否定しているから苦しくなるし、あるいは、そういう自分を見たくないから、自己受容する代わりに自分ではない「価値のあるもの」をかき集めて「価値のある自分」というものを擬似的に感じようとしてしまう。

 

自分の醜い側面、心の穴を受容できていないが故にかき集めている「価値のあるもの」というのは人によって異なるが、それは一夜を共にした異性の数かもしれないし、アニメやアイドルやパソコンやカメラや鉄道かもしれないし、仕事やお金や教養やスポーツや健康かもしれない。

 

本来自分の苦しみの原因は自分の中にあり、その一つは、こういう自分はダメだと勝手に思い込み、自分で自分のことを否定して攻撃しているからなのだけれど、私たちの多くはそのことに気が付かず、他人がこんなことをするから自分はこんなに苦しい、他人がこんなことを言うから自分はこんなに苦しい、と喚き散らしている。

 

他人が苦しみの原因であると思ってしまうのは、他人の言動をきっかけにして普段自分が見ないようしている自分の醜い側面が見えるようになるからで(心の穴が見えるようになるからで)、そうして見えた自分の醜い側面を自分がいつもどおり攻撃しているから苦しくなっているだけだ。

 

逆に相手が自分の醜い部分を見せるような言動をどんなにしてきたとしても、自分の醜い部分を受容することができていれば、あるいは自分の醜さを受け入れる準備が整っていれば、特に何も問題はない。ほーん、確かに自分にはこういう側面があるなー、こういう側面もあるのかー、となるだけだろう。

 

私は自分が男であるということを受容しているが、相手に「お前は男だ」と言われているような言動をとられても、何も思わないのと同じである。

 

逆に本当は自分にも女性的な側面があるにも関わらず、そういう自分の女性的な側面を受け入れられずに否定して、自分はマッチョな漢であるというイッメージに執着していた場合(自分が執着している自分のイメージは、自分が受け入れきれていない自分の側面の逆の性質を備えたイメージであることが多い)、相手からお前は男らしくない、女っぽい、と言われているような言動をとられると、自分の中の女性的な側面が飛び出してきて、こんな自分ありえへんどす、と自分で自分のその部分を否定し、攻撃し、そして苦しくなり、この苦しみは自分の醜い部分を見せてきた相手が悪いどす、と段違いな勘違いをして相手もろとも攻撃してしまう。

 

自分の醜い部分を受容できていないと、その苦しみの原因を相手にしてしまうというのはそういうことだろう。

 

また、上の例で言えば、相手の言動から、相手は自分を漢として見てくれていないと自分が勝手に解釈している。相手が心の内側で本当はどういうことを思っているのかはわからないにも関わらず、自分で勝手に相手の言動を自分なりに解釈して苦しんでいる。そしてその解釈の仕方は、自分が普段否定して抑圧している自分の側面を見出すように解釈している。

 

自分が相手を悪いように解釈してしまっている時、その解釈は自分がまだ受け入れきれてない自分の醜い側面そのものというわけだ。その相手というは、相手に確認をすることもなく、自分の想像だけで作り上げた相手であり、どうしてそういう想像ができたのかというと、自分にそういう側面が厳然とあるからで、自分が相手の立場であったら自分もそうするからだ。

 

私たちは相手を通じて常に自分を見ていて、そうして見える自分を受け入れきれていない時に、苦しくなったり、逃げたくなったり、相手を責めたくなったりする。

 

なるほどなー。

 

簡単ではないけれど、自分の醜い部分、心の穴をぼさっと眺めながら、コーヒーでもゆっくり飲めるようになりたいどすな。