おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

ラジオ体操のような日常が理想

日曜日は懸垂とジョギングの日で、懸垂を終えてジョギングをしようといざ外に出ると、雨が降っていたので一旦部屋に戻った。

 

雨でジョギングができない時はHIITという全身運動をやることにしている。

 

レーニングマットを敷いて、Youtube動画のとおりに体を動かすだけなのだけど、なかなかキツい。少し気温が高い晴れの日にやると汗が吹き出てくる。

 

HIITをやり終え、ふと外を確認すると雨が上がっている。

頭の中ではその日のトレーニングは終わっているのだけれど、体としては外を走りたくてムラムラしている。

 

せっかくなので、走りに行くことにした。

 

走る時は鍵しか持っていかない。

スマホも財布も時計も持っていかない。

 

人と話ができるようなゆっくりとしたペースで走る。

時々空気を存分に吸って肺に新鮮な空気を送り込んだり、腕を回したりしながら、全身を動かして体を整えることを意識しながらゆっくり走る。

 

誰かよりも長く走るためとか速く走るためとか何かのレースのためとか、そういう目標は特になく、特に何も課されていない状態で自分の気持ちの良いペースで走るとすごく気持ちがいいし、続けやすい。

 

そもそも私は誰かより長く走る必要もないし、速く走る必要もない。他人との差異、優越感を自信にする必要がない。他人との差異による自信は毒であり、苦しみの原因であるため避けた方がいい。ただ自分を整えるために必要な負荷を上限を決めて淡々とやるだけだ。限界を越えようとする必要もない。もちろん続けていたら、気がつくと限界を超えていた、ということはあるかもしれないけれど、限界を超えることが目的ではない。

 

こういうことは走ることだけではなく色々なことに当てはめていくことができるかもしれない。

 

私たちは何らかの結果のため、それも他人との差異をもってして優越感を得られるような結果のために頑張る傾向がある。しかし、結果を目的にしていると、本来自分を整えるために大事なことであっても続けにくくなる。

 

結果を出せない自分には価値がないと投げやりになったり、結果を出すために自分にムチを打って頑張るようになり、何かをやること自体が苦しくなるからな。

 

ラジオ体操は体を動かすという大事なことを老若男女にとって無理のない負荷と量で構成しているが、日常の一つ一つの習慣や日常全体もラジオ体操のように淡々と長く続けられて、なおかつその都度その都度心身が整う感じにしていきたいどすな。