おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

粗末にする習慣が身につかないように

私の母親は靴下を40足ほど持っている。

 

小さい子どものいる妹夫婦と住んでおり洗濯の頻度は毎日であるため、靴下は最低2〜3足あれば事足りると思うし、毎日気分によって変えたいのであれば7〜10足あれば十分だろう。

 

母親に、ここにある靴下全部履いてるさかい? とエセ関西弁で聞いてみたところ、履いていないどす、ということであった。

 

また、実家には亡くなった祖母のこれまた大量の服があり、誰も使っていないのだから捨てるべきなのだけれど、母が捨てようとしない。形見として取っておきたいのはわかるのだけれど、だからと言って母は祖母の服を手に取ったり見たりして思い出に耽ったりすることもなく、普段は見向きもせずにあまり出入りすることのない部屋のクローゼットにしまい込んだままなのである。

 

母は使っていないし、使う見込みのないものを大量に所持しているわけだが、この状態で私が無理矢理それらの使っていないものを捨て去ったとすると母は自分の価値が減ってしまったように感じて苦しむと思う。

 

それは、母が多くのものを持つことによって自分を「価値のある人間」と定義しようとしているからで、多くのものを持つことが価値のあることだと思っているからだ。

 

しかしながら、多くのものを持つということは、その分、ちゃんと使うことができない量、ちゃんとケアすることができない量も増えるということで、それはつまり、大事にできない量も増えるということで、つまり、使うことができる量以上にものを多く持てば持つほど「粗末にする」習慣が身についてしまう。

 

あんなに欲しがっていた靴下を手に入れた途端、何回か履いた後はいつ履くかわからない状態で放置する。その靴下がその他の大量の靴下の山に埋もれていき、しまいにはどこにあるのかもわからない。にも関わらず、それを捨てようとすると嫌だぽよ、とヒステリーを起こす。(一応言っておくが、母はヒステリーは起こさない、あくまで例ね)

 

一事が万事で、ものに対してそうするということは人に対してもそうする傾向が強い。

 

「自分のものにはするけれど、見ない、使わない、相手にしない、放っておく、触れない、気にかけない、ケアしない、時間をかけない、お金をかけない、労力をかけない、心をかけない、だけど手放そうとしない」みたいな感じのニュアンス的な雰囲気のことが「粗末にする」という意味だと思うのだけれど、自分がきちんと大事にできるキャパを超えてものを持つことが習慣になっているということは「粗末にする」ことを習慣にしているということでもある。

 

粗末にすることが習慣になると「自分を粗末にして苦しむ」「他人を粗末にして人間関係が希薄になって苦しむ」「ものを粗末にして何を手に入れても満足できずに飢餓感で苦しむ」というようにデメリットしかないのだけれど、一つのデメリットとして「大事にするということがどういうことかわからないから、自分が大事にされているのかわからない」ということがあるかもしれない。

 

私の友人(女性)は結婚して、出産して、そして即刻離婚した。その離婚の理由は相手からのモラハラだったのだけれど、本人は自分自身がモラハラをされていると気が付かなかったという。本人は、一緒にいると心苦しさを感じてはいたものの、こんなものなのかなと思い、相手から粗末に扱われていることに気が付かなかったという。あるいは気がつこうとしなかったのかもしれない。

 

「粗末にする」ことが習慣になっていると、自分の心の苦しさに鈍感になるし、気がついたとしてもその苦しさを放っておくだけだし、自分が何かを粗末に扱うことが当然であるように自分が粗末に扱われることも当然になってきて、相手の粗末さに気が付かない。自分で自分を大事にしていない分、その粗末さがある意味でしっくりくる一方で、粗末に扱われているのだからやっぱり心は苦しくなる、だけど放っておく。その苦しみが溜まりに溜まって限界にくると、一旦環境をリセットするのだけれど、また新たな「粗末にされるループ」に巻き込まれていく。

 

その友人は「大事にされたい」と言っていたが(女性はよくそう言うような気がする)、んじゃあ、その「大事にする」ということはどういう意味なのか、そしてその意味をしかと把握した上で、自分は自分自身なり身近な人なり身近なものなりを大事にしようとしているのか。自分なりの「大事にしている」というのは実は「粗末にしている」ことで、だからこそ粗末に扱われても気が付かない、あるいは大事にされても大事にされているという実感が湧きにくいってこともあるかもしれへんどすなー、というようなことは直接的には言えなかった。

 

まぁ、実際に私にも「大事にする」ということが明確にはまだよくわからないけれど、気を抜くと粗末にしてしまうところがあるというのは何となくわかる。

 

話がまとまりそうにないのでここで終わります。

 

以上。