おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

苦しみを生み出す思い込み

思い込みには、「当然」「べき」「はず」といった言葉が使われやすいので、その言い方に気をつけると、自分の思い込みが自分を苦しめていることがわかります。そのとき立ち止まって考えると、非現実的な思い込みや、誰かに言われたことを鵜呑みにしていたりすることがわかります。

 考え方は自分で変えることができ、変えていいのです。

 

ある思い込みがあると、その思い込みに従った反応が出てきました。「思い通りにことが進まないと、いら立つ」と考えれば、いら立つのであり、「意見の対立はよくない。それは避けるべきだ」と考えると、怖くなったり、逃げ出したくなったり、怒ったりするでしょう。「思い通りにことが進まないことはありうる」「意見の対立はある」と考えると、そのときの状況によって自分の気持ちがいろいろ出てくるでしょう。

平木典子『マンガでやさしくわかるアサーション

 

私たちは種々様々な思い込みの中で生きている。そして自分の思い込みの中で苦しんでいることが多い。

 

んじゃあ、具体的にどのような思い込みをしてしまいがちなのかというと大体以下のとおりであーる。

 

この世には自分にとって都合の悪い人間、価値のない人間がいる。

そして価値のない人間は否定するべき存在である。

 

価値のない人間は消し去るべき存在である。

価値のない人間は排除するべき存在である。

価値のない人間は苦しめるべき存在である。

価値のない人間は攻撃するべき存在である。

価値のない人間は見下すべき存在である。

価値のない人間は馬鹿にするべき存在である。

 

この世の価値あるものを手に入れれば、自分は価値のある人間になれる。

そのようにして価値のある人間になれば人から尊敬され、人から大事にされる。

 

いかに価値の人間にならず、いかにこの世で価値のあるものを手に入れて価値のある人間になり、いかに価値のない人間を見下すことによって優越感を得るか、これが幸福である。

 

以上のような思い込みにより、私たちは冷酷な感情を起こしてもいい存在というものを規定して、そのような存在(価値のない存在と規定されたもの)を見聞きした場合は、その思い込みにより冷酷な感情を当然かつ正しいものとして起こしてしまう。

 

自分が価値のないものに冷酷な感情を起こすからこそ、自分が価値のないものになることが怖くなる。

 

価値のない人間になってしまったら、人からひどい目に合わされるのではないか、とどうしようもなく想像してしまい(それは自分が価値のない人に行うことや思うことと同じことが想像される)、その想像から不安や恐怖が生み出される。

 

だからこそ、価値のない人間にならないように、安心を求めて価値のある人間になろうとする。自分が普段から否定しているものとは反対の価値を求めてネバギバの精神で強迫的に頑張ることになる。

 

お金で人の価値を測り、お金に乏しい状態の人に冷酷な感情を起こしている場合は、安心を求めてお金を強迫的に求めるようになる。そして仮にお金を手に入れたとしても、それを失うことの恐怖や不安に常に苛まれることになる。

 

ブランド品で人の価値を測り、ブランド品を持っていない人に冷酷な感情を起こしている場合は、安心を求めてブランド品を強迫的に求めるようになる。そして仮にブランド品を手に入れたとしても、それを失うことの恐怖や不安に常に苛まれることになる。

 

美貌や肉体美で人の価値を測り、美貌や肉体美に乏しい人に冷酷な感情を起こしている場合は、安心を求めて美貌や肉体美を強迫的に求めるようになる。そして仮に美貌や肉体美を手に入れたとしても、それを失うことの恐怖や不安に常に苛まれることになる。

 

〇〇で人の価値を測り、〇〇に乏しい人に冷酷な感情を起こしている場合は、安心を求めて〇〇を強迫的に求めるようになる。そして仮に〇〇を手に入れたとしても、それを失うことの恐怖や不安に常に苛まれることになる。

 

私たちは何か価値のあるを手に入れたら安心が手に入ると思い込み、それを求めて必死になっているのだけれど、「それがあるから安心」ということは、「それがなければ不安」ということで、仮にそれを手に入れても、それを失うかもしれない恐怖や不安は依然として残るのだから、それを求めても安心は絶対に得られないということになる。

 

ここでいう「安心」というのは「人から価値がない人間とみなされて否定されるかもしれないという不安からの解放」のことで、私たちは何か価値のあるものを手に入れたらこの不安から解放されると思っているのだけれど、よくよく考えると、その手の不安は自分が価値のないものを否定しているから生じている。価値のない人間は否定してもいい、傷つけてもいい、苦しめてもいいという思い込みから生じている。

 

自分が(自分から見て)価値のない人間を否定しているから、価値のない人間になれば人から否定されると思ってしまう。

 

一時的な安心感(自分は価値のある人間なんだという安心感)を得るために価値のないものを否定し、優越感を得ることによって、実は苦しみを生じさせてしまっている。

 

(おれはお金を持っているぽよ、とお金を持っていない人を馬鹿にすると、お金を失うと馬鹿にされるかもしれないという不安を作ってしまうだけで、実は何のメリットもない)

 

自分のことを何らかの価値基準により馬鹿にしてくる人がいたとすると、その人はその人で価値のないものを否定するという思考パッターン(価値のない人間は苦しめてもいいという思考パッターン)により、自分で自分の苦しみを生じさせる思考パターンに陥っているだけなので、その人が馬鹿にしてきたことを真に受ける必要はない(むしろ、苦しみの世界にいる、苦しみを作り出してしまう世界にいるわけなので可哀相だと憐れんであげてもいい存在なのである)。

 

話を戻すと、私たちは自分なりの思い込みの中に生きていて、その思い込みから様々な感情を起こし、その感情によって苦しんだり、苦しまなかったりしている。

 

自分が苦しみを作り出してしまう思い込みの中にいないかどうか、まずは要チェックだ。

 

そしてそれに気がついたら、こんな自分はダメだ、と自己否定するのではなく(これはこれで都合の悪い部分は否定すべきという価値観だ)、そういう思い込みの中にいるということに気がつくだけで十分だ。

 

声出して切り替えていこうと思う。