おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自分をボサッと眺める

持ってはならない感情はないので、自分の感情が思い込みによってつくられていないか、自分のものかどうか、検討してみることが大切です。

 

自分の感情に正直になると、驚くような感情があることがわかります。同時に、それが自分のもので、そのような感情を持つのが自分だということもよくわかります。

平木典子『マンガでやさしくわかるアサーション

 

私たちは自分なりの基準で、持っていてもいい感情と持ってはならない感情というものを決めつけている。

 

こういう感情は湧き起こってもいい、こういう感情は湧き起こってはいけないと自分ありの基準で理性的に区分けしている。

 

しかしながら、私たちの感情なり思いなり欲望というものは実際のところ極めて自由で多様であるため、理性が思い描く理想とは関係なく、湧き起こってくるものは湧き起こってくる。

 

こういうことは思わないように、こういう感情を抱くのは人でなしだ、とネバギバの精神で抑え込もうと頑張ったとしても、思ってしまうものは思ってしまうし、抱いてしまうものは抱いてしまう。

 

湧き起こってきたということは、それがそのまま事実で、そのような感情なり思いなり欲望なりが自分の中にあるということが事実で、だからそれがどのような感情や思いや欲望であろうとその事実をそのまま受け入ればいいのだけれど、我々はどうしても単なる事実に自分なりの色付けをしてしまう。

 

この感情は良い感情、この感情は悪い感情。

良い感情は抱いてもいい、悪い感情は抱いてはいけない。

良い感情を抱く自分は良い人間だ、悪い感情を抱く自分はダメな人間だ。

(ここでの「良い」や「悪い」は自分なりの「良い」や「悪い」に過ぎない)

 

そして私たちは自分のことを善人と思いたいので、悪い感情が湧き起こってきた時に、その感情を自分のものと認めずに、抑圧したり否定したりする。そして苦しみが生まれる。

 

こんな感情を抱くのは本当の自分ではない、こんな感情が湧き起こってきたのはあいつのせいだと、他人を責め始める。

 

本当は自分の綺麗な側面しか認めたくないが故に、自分が「悪い」感情の存在を否定しているからこそ苦しみが生じているにも関わらず、その因果関係がわからずに、自分の悪い感情の原因は他人にあるとし、その他人を責めて苦しめれば自分の悪い感情は消えてなくなると思ってしまう。

 

しかし、確かに起こっている自分の感情の存在を事実として認めず、その感情を否定したり、他人を責めたりすること自体が自分に苦しみを生む。

 

だからと言って、自分の感情を否定する、他人を責めるということをすぐにやめられるのかというと、すぐにはやめられない。

 

自分にとって都合の悪いものは否定するべきである、責めるべきである、という思想は私たちの中にガチガチに組み込まれており、根深い思い込みになっており、思考の癖になっているからな。

 

そして何かを否定したい、責めたいというのもまた自分の感情であるため、その感情自体を否定すると、自分を否定したり他人を否定したりすることになり、苦しみが減ることはない。

 

んじゃあどうすればいいのかというと、とにかく自分が今、どのような感情や思いや欲望を起こしているのかを俯瞰的に観察することに努めること。

 

それが自分にとって醜い感情であれ悪い感情であれ(この「醜い」「悪い」というのも自分が勝手に決めているだけだ)、とにかく、あー、今自分、こんなこと考えてんだー、こんな感情抱いてんだー、とボサッと眺めることに努めること。

 

醜い感情や悪い感情に対して、否定的な感情や他人を責めるような感情が湧き起こってきた時は、あー今感情を否定しているなー、とかあの人を責めているなーと、ボサッと眺めることに努めること。

 

そして、いやいや、だってあいつがあんなことしたんだからこんな感情起こすのは当たり前だろ、あいつが悪いし、あいつがああしておけばこうはならなかったし、そもそもあいつがいなくなればああはならなかった、と自分を正当化する感情が湧き起こってきたら、あー、いま自分、正当化しているなー、とボサッと眺めることに努めること。

 

とにかくどんな感情や思いや欲望が湧き起こってきて、たとえそれに流されていたとしても、とにかくそういう自分をボサッと眺める、そしていちいち自分なりに良いとか悪いとかの色をつけない、いちいち否定しない、ただこういう感情なり思いなり欲望が自分にはあるんだということを認識する。

 

そもそも持ってはいけない感情というのはないため否定すればするだけ自分が苦しむだでやんす。(ただそれを人に対して表現するかどうかは慎重になる必要がある)

 

自分の内面に注意を払い、ぼーっと眺めていると、とんでもなく醜い感情や恐ろしい思いを発見することがあるが、その際、私の場合「まじか」と少し笑ってしまったりする。

 

そして、使っていないものを捨てて身の回りをスッキリさせたり、自分が思っていることをとにかく書き出したり、瞑想をすることによって、自分を俯瞰的に見やすくなってくる。

 

声出して切り替えていこうと思う。