おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

生活水準を少し上げてみた

先日、生活水準を少し上げてみた。

 

とは言っても、その上げ方というのは高級車や高級時計やブランド品といった地位財、差異表示財を購入したというわけではなく、歯磨き粉を変えただけだ。

 

これまではコンクールの1000円くらいの歯磨きジェルだったのだけれど、試しに1400円ほどのものを使い始めた程度だ。

 

試しに使っているものというのがこれ。


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歯磨き堂の「薬用ホワイトニングペースト」

 

私はコーヒーを飲むことがあり、歯に着色汚れがつくことがある。

 

定期的に歯医者にいって掃除をしてもらってはいるのでひどくなりすぎることはないのだけれど、日常的な歯磨きで落とせるのであればそれに越したことはない。

 

コンクールの歯磨きジェルは、口内環境を整えるには効果的だとしても、着色汚れにはあまり効果はないような気がする。

 

コンクールの歯磨きジェルにしてから着色汚れがつきやすくなった(というより着色汚れを落としにくくなった)ような気がする。

 

そこでたまたま歯磨き堂の歯磨き粉を見つけたので、試してみることにした。

 

毎日使い続けると、段々と歯が白くなっていくらしい。

 

まぁ、なったらなったらでありがたいし、ならなかったらならなかったで仕方がないのだけれど、とりあえず試してみようと思う。

 

あまり効果がなさそうだったらまた別の歯磨き粉を試せばいい。

 

おそらく贅沢にはいくつか種類があって、そのうちの一つが日常的かつ長期的な贅沢で、それは毎日日常的に使うものを少し良いものにすることで味わうことができる。

 

例えば、今回のような歯磨き粉、ティッシュ、トレットペーパー、スポンジ、歯ブラシ、フローリングシート、食パン、各種調味料など、気にしなければ一番安いもので済ませることができてしまいそうなものを、プラス数十円〜数百円出すことで、少し良いものに変えることができる。(品質が値段相応かどうかは試してみないとわからない)

 

しかもそれらは日常的に触れて、自分や自分の生活空間を整えてくれるものでもある。

 

そういうものが少し良いものだと、大事に思いやすくなるし、大事に扱いやすくなるし、使っていて気分がいいし、買いに行くのも気持ちが良かったりする。

 

そして、そういう贅沢にお金を使ったとしても、その差額はせいぜい数百円程度であり、長期的に使うわけだから一日換算するとどういうこともなく、高級車や高級時計やブランド品と違って、その出費によって生活が破綻するということはまずない。

(破綻すると思うのであれば、お金の使い方において何かがおかしい)

 

そして、そういう贅沢は数百円程度の贅沢なので、真似しようと思えば基本的に多くの人が真似することができるため、高級車や高級時計やブランド品と違って、人を傲慢にし、人を見下すという悪癖を助長する可能性もきわめて低い。

 

(「高級車や高級時計やブランド品」の機能というのは「人にはそう簡単に真似のできないこと」をわかりやすい形で示し、他人と自分との差をもってして、自分の自信につなげられそうな気分にしてくれるところにある。他人を見下す癖がつくと、「見下す・見下される」という軸でしか物事を捉えることができない自分の主観の世界ができあがり、その世界の中で苦しみ続けることになる)

 

まぁ、とにかく、贅沢というのは滅多にない機会のための贅沢、つまり、非日常的贅沢ではなく、普段よく使うもの、普段よく行うもののための贅沢、つまり日常的贅沢を優先するほうが私の性にはあっているような気がする。

 

そろそろ歯ブラシも買いにいこうと思う。