おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自分の領域と他人の領域

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

 

誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。

 

まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。

 そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

 

岸見一郎 古賀史健

 

私たちは自分の考え方と他人の考え方は同じであるべきだ、自分の物事の捉え方と他人の物事の考え方は同じであるべきだと思う傾向がある。

 

常識というのは実は人の数ほど存在するのだけれど、私たちは常識というのは唯一のものであり、自分の常識は世界の常識であり、自分の常識に他人も従わなければならないと思う傾向がある。

 

だからこそ、自分と異なる考えを持った人がいた場合、あの人はおかしい、私が正しいという展開になっていく。

 

しかしながら、実際には私たちは一人ひとりが異なる世界を生きている。

 

同一の物事や時間や空間を共有していたとしても、一人ひとりに見えているものや感じているものは必ず異なる。

 

自分には自分の領域があるように、他人にも他人の領域がある。

 

自分の領域と他人の領域の境界線をきちんと見極めなければ、相手に自分の領域に踏み込ませてしまい不快な思いをしたり、自分が相手の領域に踏み込んでいき、相手を傷つけたりして、息苦しい人間関係が生まれてしまう。

 

自分に自由な領域があるように、他者にも自由な領域がある。

自分に自由を認めたいのであれば、他人にも自由を認める必要がある。

 

他人の自由な領域を認められれば、自分の自由な領域も認められるようになる。

 

他人を縛る一方で、自分は自由ということはあり得ない。

 

他人を縛ると自分も縛られる。

 

他人をああじゃないといけない、こうじゃないといけないと縛ると、自分もああしないといけないこうしないといけないという風に縛られて生活するようになる。

 

そして、自分がああじゃないといけないこうじゃないとけないと思っていることを守っていない人を見ると(他人は不特定多数いるので絶対にそういう人はいる)、おいどんは我慢してやっているのになんであの人はああなんでごわすか、と他人を責めたり、他人に対して怒りを覚えたりして不快な日々を過ごすことになる。

 

例えば掃除。

 

掃除はとてもいい習慣で、とても価値のある習慣だ。

 

しかし、それを大事だと思うかどうか、実践するかどうかは完全に個々人の自由。

 

「しなければならない」と自分や他人を縛るような思考パッターンに陥った状態で掃除を行うと、自分にムチを打って掃除をするようになり、掃除をしない人を責めるようになる。

 

「大事だからやろう」と自分なりに納得してやると、価値のあることを自分はやっているわけだから自己肯定感がただただ上がる、そして、やっていない人がいると「もったいないなー」で終わりである。

 

自分には掃除が大事に思えるから掃除をやる、それは自分の領域。

他人は掃除が大事に思えないから掃除をやらない、それは他人の領域。

 

掃除を手伝って欲しいとお願いするのは自分の領域。

手伝うかどうかを決めるのは他人の領域。

 

自分の領域と他人の領域の境界線を見誤ると、他人の領域に不法侵入してしまい、お願いしているのになんで手伝わないんだとなり、なんで手伝わないといけないんだ、というようになり、人間関係がギスギスしてしまう。

 

自分の領域内のことであれば何をやっても何を思ってもかまわない。

しかし、その結果は全て自分が引き受けなければならない。

 

他人の領域のことにもかかわらず、同意も得ずに土足で踏み込み、他人を自分の思い通りに動かそうとし、それによって生じた結果は引き受けない(というかそれは他人の領域のことなので引き受けられない)のであれば、それは他人を大きく傷つけるし、無責任極まりないということになる。その結果、人が離れていくことになる。

 

逆に、自分の領域のことであり、その結果を引き受けるのは全て自分であるにもかかわらず、自分の領域のことを相手が決めようとしてくるのであれば、その相手は自分の領域を侵しているいることになるので、そのような相手にはそれは自分の領域であることを伝え、一定の距離を置いたほうがいい。

 

「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」

 

自分や他人を尊重するために、自分と他人との境界線は常に意識していく必要がある。

 

声出して切り替えていこうと思う。