おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

引越し費用がない管理職に学んだこと

贅沢とは浪費することであり、浪費することは必要の限界を越えて物を受け取ることであり、浪費こそは豊かさの条件であった。

 現代社会ではその浪費が妨げられている。人々は浪費家ではなくて、消費者になることを強いられている。物を受け取るのではなくて、終わることのない観念消費のゲームを続けている。

 浪費は物を過剰に受け取ることだが、物の受け取りには限界があるから、それはどこかでストップする。そこに現れる状態が満足である。

 それに対して、消費は物ではなくて観念を対象としているから、いつまでも終わらない。終わらないし満足も得られないから、満足をもとめてさらに消費が継続され、次第に過剰化する。満足したいのに、満足をもとめて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学

 

私たちの生活が経済的に安定しない原因は以下の2つ。

 

(1)使っていないものにお金を使っている

(2)他人を見下すためにお金を使っている

 

この(1)と(2)はお互いに関連していて、どちらも「価値のある人間」という観念のためにお金を使っているということになる。

 

これを持っていれば、このサービスを受ければ、人から「価値のある人間」として見てもらえるであろうものにお金を費やしている。

 

人から「価値のある人間」として見てもらえそうな記号や観念に時間やお金や労力を費やしている。

 

少し前に私は他部署の管理職とヘラヘラと雑談をしていた。

 

仮にその管理職をA課長としよう。

 

A課長はつい最近アウディみたいな感じのニュアンス的な雰囲気っぽいスタンス風のベクトルチックな外車を購入し、ウキウキしていた。

 

A課長は他にも普通の車を1台と知る人ぞ知る高級な車1台を持っていると言っていた(私は車に興味がないので、何の車かよくわからなかった)。

そして、アウディっぽい車を買った直後にA課長の転勤が決まり、その引越費用が約80万円だった。

 

その費用は会社負担になるのだけれど、一旦は社員が立て替え払いをし、諸々の手続きが終わった後にその費用分のお金が会社から返却される。

 

そして、A課長はその約80万円の引っ越し費用を捻出することができず、結局どこかで借りることになったという。

 

A課長はどうして車を3台も持とうしたのかしらん。

A課長はどうして高級車を2台も持とうとしたのかしらん。

 

車は1台あれば十分で、1台で必要十分で、浪費かつ贅沢にもなりえる。

人は1台以上の車を運転することはできないために、車の受け取りとしてはそれが限界だ。

 

しかし、A課長は「車」という物そのものではなく、「価値のある人間」という観念なり記号を求めてしまっている。

 

「人が持っていないような価値のあるものを持っていれば、その分だけ『価値のある人間』として見てもらえる」という発想に基づき、実際に使うか使わないかに関わらず、普通車1台に加えて高級車2台を手に入れている。

 

そしてその結果、車代よりも遥かに低い80万円という一時的な出費、仕事のための一時的な出費、生活のための一時的な出費を、借りなければ捻出できない状況に陥ってしまっている。

 

見た目は余裕がありそうにみえるものの、実際には金銭的に余裕がない状態。

 

そして、「価値のある人間」として見てもらいたいと思っているということは、心の奥底では自分は人から認められていないという強い思いがあるということで、それは精神的にも余裕がない状態でもある。

 

何かを手に入れようとする時、手に入れたいのは物そのものなのか、「人から価値のある人間として見てもらえるであろう」記号なり観念なのか、きっちり分けることは難しいかもしれないがその点を意識していくことは大事なのかもしれない。

 

それが記号なり観念に偏っていた場合、それは満足をもたらさない消費であり、満足をもたらさない故に消費が加速し、高級車は持っているが金を借りなければ引っ越しができない状態になってしまう。

 

大事なことを教えてくれたA課長に感謝。

 

声出して切り替えていこうと思う。