おすかわ平凡日常記

整え続ける日々

自分を整えるための家事

金曜日は友人が東京へ出張へ来たので、午後から休みをとって合流し、酒を飲んだ。

 

酒は酒でうまいし、友人ととてもいい時間を過ごすことができたのだけれど、やはり酒を飲むと色々と乱れる。

 

友人と別れた後は、一人でうどんを食べ、アイスを食べ、そのまま家でスマホを見ながらダラダラと過ごしてしまい、次の日は一挙手一投足がギシギシした感じで、体が重い。

 

まぁ、二日酔いでなかっただけでもありがたいことなのだけれど。

 

このように快楽の前借りをした次の日は、家事をして身の回りを整えることによって、乱れた自分を整えていくといい。

 

洗濯、掃除、ゴミ捨て、買い出し、炊事。

 

汚れたものを綺麗にする。

不要なものを捨てる。

足りないものを補充する。

 

家事というのは基本的に乱れたものを整える営みだが、家事をやると適度に体も動かすことができ、体を動かすことによって、体もだんだんと整ってくる。

 

家事が嫌いという人がいるが、それは自分を整えるのが嫌いと言っているのと同じなのかもしれない。自分を整えるのは他人の役目だと言っているのと同じかもしれない。

 

たしかに家事は面倒だけれど、やると確実に整う。

(他人からよく思われるためにやると整わない)

 

たしかに家事はきりがないが、それはそれで仕方がない。

 

この世は諸行無常の理によって放っておくと確実に乱れる。

その中で快適に過ごすには、その都度、整えていくしかない。

 

乱れたら整えればええじゃまいか、とボブ・マーリー的に心がけていれば、基本的に乱れをもたらす非日常も、次の日からの日常を通じて整えていけばいいだけなので、楽勝で楽しむことができる。

 

一切の乱れのない生活というのは無理だ。それは諸行無常の理に反する幻想でしかない。

そのような幻想に執着していたら、人との交流ができなくなってしまう。

 

乱れても整えられる生活、乱れっぱなしにはならない生活、これが理想だ。

 

そして、乱れても整えられる生活の具体的な営みが平凡な家事、すなわち炊事、洗濯、掃除になる。

 

つまり、炊事、洗濯、掃除を苦もなくできれば、結構最強だったりする。

 

こう考えると、家事の時間は生産性がないとか、家事の時間を1秒でも減らしたいとか、家事に対する神経症的な拒否感は、乱れたものを整える習慣を身につける機会を奪ってしまうことになるのかもしれない。

 

考えすぎかしらん。

 

まぁ、とにかく、金曜日は乱れ、土曜日は整え直すことができた。

 

声出して切り替えていこうと思う。