人と物の流れは血流のようで、よくできた健康な都市は臓器と血流に無駄がない。
小川哲『地図と拳』
健康な状態というのは血液がサラサラと循環していて、どん詰まりがない状態だ。
日常を整えていくためには、「循環」というものを意識することが大事になってくる。
エネルギーを摂取し、運動をしてきちんと使っていけば、太って健康を害することもない。
食べ物を摂取し、きちんと排泄していけば、便秘になることもない。
欲しいものを買って、それをきちんと使って捨てていけば、ものが増えすぎてゴミ屋敷になることもない。
何かものを取り出して、使った後はきちんともとに戻せば、部屋が散らかることもない。
入ってきたら出す。
使ったらしまう。
開けたら閉める。
動かしたら休ませる。
みたいな感じのニュアンス的な雰囲気で、プラスの動きとマイナスの動きがきちんとセットになり、そのセットが連続している状態、きちんと躍動している状態、きちんと循環している状態が何事においても望ましい。
私たちは他人からよく見てもらおうとして、さまざまなものをかき集め、そうしてかき集めたものを根拠にして、自分を「価値のある人間」として定義しようとしている。
そのような私たちにとって、手に入れたものやかき集めたものを手放すというのは、「価値のない人間」になってしまうということになるので、なかなか手放すことができず、むしろ握り締めてしまう。
(無論、自分ではないもので作り上げようとしている「価値のある自分」や「価値のない自分」というものは自分の中での幻想に過ぎない)
だから、私たちは「かき集めて握りしめる」ということが癖になっている。
そして、「かき集めて握り締める」ということが癖になったままだと、入ってきたものをせき止めてしまうことになり、循環が阻害され、体、頭、心、日常空間といったさまざまなレベルでどん詰まりが生じ、淀みが生じ、濁りが生じ、腐敗が生じ、オーマイガッ、となってしまう。
普段の日常において、循環が阻害されどん詰まっているところはないか、定期的に確認するといいかもしれない。
私の場合、少し前にホットケーキミックスを購入し、試しに作ってみたが、不器用であるが故にうまく焼くことができず、それ以降、同ホットケーキミックスは使っていない状態にある(あと2袋もある)。
つまりは、どん詰まっている。
このままだと、淀みが生じ、濁りが生じ、腐敗が生じ、オーマイガッ、となってしまう。
今日、ネバギバの精神でまた焼いてみよう。
声出して切り替えていこうと思う。