<閣議>を見守っていた細川は、解散したあとに石本に「部屋が綺麗な人間には二種類いる」と言った。
「掃除好きな人間と、綺麗好きな人間だ。掃除好きは掃除自体が好きだ。だからその結果、部屋が綺麗になる。綺麗好きな人間は、綺麗な状態が好きなだけだから、別に誰が掃除しても構わない。掃除しなくても部屋が綺麗なら、自らすすんで掃除しないだろう」
小川哲『地図と拳』
掃除好きというのは、汚いものに対して寛容であり、その汚いものに近づいて、自分で対処することができる。
汚れても掃除すればいいという発想だ。
掃除をするときは喜々として掃除する。
そして、例えば、その綺麗な部屋で子どもがのびのびと遊び、部屋を汚す。
それをただ淡々と掃除する。
この繰り返しを受け入れることができる。
なぜなら掃除という営み自体が好きだからだ。
しかし、綺麗好きというのは、汚いものに不寛容で、その汚いものに近づくことができず、自ら対処することができない。
何かを汚すことが我慢ならない。
そして何らかの汚れが生じた場合、その汚れには他人が対処するべきだと責め立てる。
掃除をする時はいつもカリカリしながらなんとか部屋を掃除する。
そして、部屋を汚されないように例えば子どもをガチガチに縛り付ける。
万が一、汚そうものなら喚き散らす。
なんで私が汚したわけじゃないのに、私が掃除しなくてはならないんだぽよ。
そうしてまたカリカリしながら掃除する。
あるいは人を責め立てて掃除させる。
掃除というのはきりがない。
掃除してもまた汚れるし、掃除した瞬間から埃はたまり始める。
そして「掃除しなくても部屋が綺麗」という状態はありえない。
だからといって、汚れがたまったままの状態、埃がたまったままの状態にしておくと、自分にとって気持ちが悪いから、その自分の気持ち悪い状態に対処するために、自分で掃除にとりかかる。
掃除というのは際限なく自分が自分のために動く営みだ。
そうして自分が汚れに対処することによって、汚れがとれ、埃が拭き取られ、自分の気持ちの悪い思いが気持ちの良いものになる。
これは自分で自分の機嫌をとることができている、ということになる。
自分で自分のことを整えられている、ということになる。
自分で自分のことを整えられるようになると、自信を持つことができる。
逆に、部屋が汚れた状態で自分が気持ちの悪い思いをしているのに、その自分のために自分は動かない、自分のために汚れに対処しない、むしろ、自分のために動くのは他人だと思っている、他人が掃除をするのが当たり前だと思っている、ということは、自分の機嫌は人に依存しているということだ。
自分で自分のために動くことができない。
自分で自分の機嫌を取ることができない。
自分で自分のことを整えることができない。
自分のことは他人がやって当然という発想。
これが無力感を生む。自信のなさを生む。
だから、人を自分の思い通りに動かせるように、お金や地位や権力や影響力といった「価値」を渇望するのかもしれない。
「価値」をかき集めれば、人は自分の思い通りに動いてくれ、人が自分を整えてくれる、という発想になるのかもしれない。
私は週末は必ず部屋の掃除をするようにしているが、掃除というのはこのように機械的にやるよりも、気がついたその時に綺麗にするというのが良いらしい。
汚れに気づく、気づいたら、対処して綺麗にする。
これを抽象化すると、乱れに気づく、気づいたら、対処して整える、ということになる。
私たちの日常がどん詰まり、どうにもならなくなるのは、乱れたものが整えられないまま放置されてしまうからだ。
乱れにそもそも気がついていないのであれば仕方がないのかもしれないが、私たちの多くは乱れに気がついているのに、その乱れに軽快に対処することができない。
問題に気がついているのに、見てみぬふりをして、先延ばしにしてしまい、あとでとんでもないことに発展してしまうということは多々ある。
乱れに気がついた時に、すぐさま対処し、整えていくことができれば、基本的に日常は安定する。
よって、乱れに気がついたら気持ちよく対処し、整えることができる能力・習慣は大切で、その能力を身につけるために掃除というのはとても有意義だ。
おそらく掃除好きの人、掃除習慣のある人は、部屋の汚れだけではなく日常における問題にも対処するスピードが早いため、日常が安定している傾向があるのではないかしらん。
まぁ、日々の問題から目を背けるために掃除に没頭しているということもあるかもしれないが(試験勉強時の部屋掃除のように)、その種の掃除は一時的なものなので習慣ではない。
一般的に掃除というのは疎まれがちだが、掃除習慣を身につけ、掃除好きになるメリットは非常に大きい。
自分で自分のことを整えられるようになるし、自分に自信がつくし、問題対処能力も上がる。
そして、掃除習慣を身につけて掃除好きになるためには、掃除のしやすい環境、つまり、ものが少ない環境を作る必要がある。
ものが少ない環境を作るためには、普段使っていないものを捨てていく必要がある。
普段使っていないものであれば、捨てても生活に支障はない。
使っていないものを捨てて部屋の中をすっきりさせる。
その中で、掃除習慣を身につける。
すると、日常の乱れや問題が見えやすくなる。
そして、その乱れや問題に軽快に対処して整える。
日常は所詮この繰り返しなのだけれど、乱れや問題に対処できるようになると、何か乱れや問題が起きても対処すればいいじゃんけ、と鷹揚な気持ちになり、この繰り返しの日常そのものが安定してくる。
仏教が掃除を重視する理由もここにあるどすなー。
声出して切り替えていこうと思う。